コロナによって、東京ではお酒が飲めないので、地方の温泉に夫婦で出かけた。風呂上がりに生ビールこれが我慢できなかったのだ。
ホテルに着いてから早速露天風呂に向かった。やはり温泉は良い。コロナだって吹っ飛ぶような気がした。
その時、あるお坊さんと一緒だった。お坊さんだとどうしてわかるか、というと、脱衣所ではサムイを着ていたし、下着が真っ白だったし、頭がスキンヘッドだったからだ。
そのお坊さんと思われる人は、面白いお風呂の入り方をしていた。その人は暖かい湯船に入らず、サウナ用の水風呂に入っては、身を清め(そう思う。)外に出ては合掌をして首をぐるぐる回して柔軟体操みたいなことをしていた訳だ。そのルーティンを繰り返し行った上、ようやっと湯船につかりどこかに消えた。
まさかこれが修行とは思えないが、もしそうだとしたらあまりにもぬるい修行だ。あれでなんか悟りがあったなら、私は毎日でもやる。
で、私はまねしてさとりがえられるかやってみた。
私も露天風呂で修行をかねて、ドライサウナで熱さに耐えながら(?)考えた。テーマは欲望についてだ。
最近、気になっているのが、若いときに雑誌で読んだアメリカンジョークだ。
ある健康な若者が医者に聞いた。
「僕は100歳まで生きることができると思いますか?」
医者が質問した。
「君はタバコと酒はやるの?」
若者が答えた。
「いいえ、一切やりません」
医者が質問した。
「君はギャンブルはやるの?」
若者が答えた。
「いいえ、一切やりません」
医者が質問した。
「君はバイクや車でスピードを出すのが好きですか?」
若者が答えた。
「いいえ、バイクや車には興味がありません」
医者が質問した。
「君は、女遊びが好きですか?」
若者が答えた。
「いいえ、そんなことはしません」
医者が言った。
「君、なんのために100歳まで生きるの?」
このジョーク笑うのにはふたつの視点がある。
つまり医者の言うとおりだ。楽しみをの無いつまらない人生でどうして100才まで生きるの。と笑うのか、人生はそれしか楽しみが無いと思っている医者を笑うのか。つまり、酒、ギャンブル、スピード、女、それが人生の楽しみと思うのか。
この二つの視点は重要で、どちらで笑うかで、その人の欲望についての考え方が変わるからだ。
私は若いとき、後者で笑った。つまり、医者の言うとおりではなく、人生は欲望をみたすことだけでは無く、他の生きる目標がある。しかし、若い頃に、酒、たばこ、ギャンブル、スピード、女、……。私は欲望だらけだった。
それに加え、すべてが満たされるわけではなく、いつもギラギラしていた私は、欲求不満そのものだった。だからその欲望をみたすことが頭から離れなかった。だからと言って、毎日それに明け暮れていたかというと、いや違う。
欲望だらけの私だが、自分の生きる目的もつかもうとしていた。その頃は、絵を描くとこが好きだったし、芸術から感銘を受けることが多かった。。そして、将来どんな仕事をしようか、と、真剣に考えていた。だから、そんな欲望に支配された青春ではいけない。と思っていたのだ。
毎日私はその欲望をどうやって抑えられるのか悩んでいた。ギラギラの欲望を抑えてこそ、本当の生きる目的が達成させられる。と、思ってた。なのに、私はこのジョークを医者の言うとおりだ。と思って笑ってしまう。考えている事と欲求とが入り乱れ、一生懸命デッサンしたり、一生懸命女子の後を追ったり、毎日の行動に統一性がなかったのだ。だから、すべての行動が食欲や性欲や支配欲、金銭欲、自己顕示欲……欲望だらけだった青年の私は、山で暮らして就業する仙人になれたら。
『仙人になれたら、欲望を超えたところに人生があり楽に生きられる事だろう。』そう思っていた。
しかし、今はそうは思わない。
今人生の末期に来て、段々と欲望が薄れてきた。若い頃のように、ギラギラしていない。満たされていることも多い、それは仙人に近づいてきた?ようだ。でも、本当だろうか?
やりたいけど、いつかやればいいや、欲しいけど我慢しよう、行きたいけど面倒だ…。それは私が欲望を無にできるようになった仙人に近づいたのだろうか。いや、違うこれはただ単に生きる生きるエネルギーが低下しているだけではないのか。だったらエネルギーのある若い頃に、それを満たそうとすることの何が悪い。
そんな疑問を灼熱地獄ドライサウナの中で熟考した。
その中で二つの命題が浮かんだ。
一つは欲望って何だろう?
もし、欲望が生きるエネルギーと関係しているなら、生きるエネルギーって何だろう?
欲望は人それぞれ違うが、無くしても良いものだろうか?欲望と活力との関係は何なのだろう。
生物学的に細胞レベルで考えたとき、細胞には欲望があるのだろうか?
【欲望】 不足を感じてこれを満たそうと強く望むこと。また、その心。
辞書にはそう書いてある。だから、生きているものには皆欲望を持っている。小さなバクテリアにも欲望はある。二つあってそれを満たさ無いと死んでしまう。
一つはエネルギーを摂取すること。
二つ目には繁殖すること。
人間例えると、食欲と性欲(?)だ。細胞分裂を性欲と呼んで良いのか分からないけど、意味は近い。
(人間では生きるために必要なものが、睡眠があるがそれは欲ではなく生理現象だから、今は考えない。)
で、バクテリアは『生きるためにその欲を満たそうとするのか。』
それとも『その行動が生きることなのだろうか』
最初の考えなら、欲は満たさないと生きていけないが、他に生きることに目的があるから欲を満たしている。
二番目なら、欲を満たすことが生きることと言える。
ほら、これは最初にあったジョークの二つの命題になる。
前者なら、欲望は人生そのもの築いていることになる。
後者なら、欲望の他に人生を築かなければならない。
結論はでない。まだ、その結論を出せるほど自分の頭は働かないし、究極、何故、宇宙があるのか、何故、地球があって生命があるのか、自分にはよく分かって無いからだ。
自分がどうしてここに居るのかわからない。
分かっていることは『自分が今どんどん欲を追求するパワーが無くなっていて、段々と死に向かっている。』ということだ。
