
私は最初に百田なる人物を知らず、『永遠の0』を読んで感動した。
不遇の運命に死を回避して生きなればならない主人公の生き方、そして、理不尽な時代の流れ・・・・・。0戦という名戦闘機を通して、物語が展開する。
読み終えて感動して、涙が出てきた。
なのに・・・・・。
その物語を書いた百田尚樹を知ったとき、なんだこれは、どうして彼がこの小説を書けたのだ?
彼の言動を知る度に嫌悪を感じる。この人は何なんだ。最近、メディアにでる百田の発言はひどい。どうして、こんなにあれが悪い、これが良い、こいつは駄目だつぶしてしまえ、と言い切れるのだ。
もちろん、人にはそれぞれの考えがあり、自分の意見を述べるのは構わないとおもう。そういう私も今私の考えで彼を非難している。ただ、彼は小説家としてああいう言動はまずい。彼の小説に引き込れるのは、物語を読みながらそれが真実の出来事であるように思わせるからだ。それが出来る小説家はやはりすごいと思う。だからだ、だから百田尚樹はだめだ。
私も『永遠の0』に感動した。そこにはやはり戦争で多くの人が無念な気持ちを抱いて死んでいく残酷さ理不尽さが描かれていた。
でも、彼はどうして、この小説がかけることが出来たのだろう。
答えは『小説家は真実に近い嘘が書ける』ということだ。
自分もお遊びで小説を書いたことがあるから分かる。自分が書いていていて面白い話は人も面白く感じ、『ここの文章は人が読んだら感動するだろうな』と自覚しながらあの時は小説が書けた。主人公がこんなことを言ったら格好良いとか悪いとか、こんな事があってこんな事をしたら人は感動するだろうなと、それを考えながら書くいていると、『真実のような嘘が人を感動させる。』そんな結論にいたった。あの頃自分には取材能力が無かったから、『嘘のような真実』は書けなかったが、『真実のような嘘』を何とか捻出しようとしていた。若い頃、小説を書いていたときの思い出だ。
百田尚樹はいけない。彼は『真実のような嘘』で戦争を美化しようとしている。『愛するものために戦い、命を惜しまない』そこに人は感動しやすい。『永遠の0』にはそれがあった。
しかし、そのことで戦争の醜さ残酷さを消そうとしてはいけない。彼は自分の言動や思想に一切の疑問も感じてないだろう。なぜなら、『自分は人を感動させる事の出来る小説が書ける』という自信をつけてしまったからだ。だから、嘘も真実にして、その自分自身が正しいと自信を得て、人に説教し始めた。困ったやつだ。
昔、大学時代に合ったカトリック信者の女の子は「私は神様に会えてから、迷いが無くなり、どんな困難にであっても生きていける自信がつきました。」と言ったことを思い出した。
何かを信じて、疑わない人は困ったものだ。こういう人は誰に何を言われてもぶれない。生き方に自信を持っている。無神論者の私が何を言っても聞いてくれなかった。信じたものが信じられなくなる、そんなことが起きない限り、その人はぶれないだろう。しかし、それが怖い。何かを信じて疑わなくなる。
これは、『イスラム国』に通じ、自分の信じていることのために人を殺すことをも厭わなくなる。戦争をも美化し、自分の死も美化していくのだ。
時々、考える。自分のしていることに自信を持って生きている人は素晴らしい。そんな自信に満ちた人が区々に増え、ぶれない思想を持ち、より大きな力と自信をもち仕事をして、何かをなしえていく。しかし、その人達はいつしか、自自分のぶれない思想から、自分たちと違う意見に耳を貸さなくなり、自分達を批判する意見を疎ましくおもってくる。それでも最初は自分たちを批判をする人たちを説得しようとする。しかし、そんなことは出来ない。何故なら、批判する側もぶれない思想を持っているからだ。その結果、どうしても自分たちの思想が世の中に通らないことを知り、おなじ考えの人を集め集団を作る。相手も作る。だが話しあいでは解決できなくなり、最後に誰かが暴力で解決しようとする。傷つけられた怒りが集団を武装化して、最後にはそのぶれない思想の集団同士が闘うのだ。そんなことにならないのか?
百田尚樹の言動、自民党が強い日本を目指している自信、拡大する宗教団体、イスラム国・・・・・・・・・・
世界がまたいやな時代を迎えそうな予感がする。
