私は毎年人間ドックに行く。
理由は
①自分の体が今どの程度健康であるか知りたい。
②毎年の記録で自分の老い進み方が分かる。 (そのことで死ぬまでの自分の計画に修正ができる。)
③もし、病気で死ぬとしても、人間ドックを受けないで「ああ! ~しておけば良かった。」と後悔したくないから
そんな理由で人間ドックには毎年妻と一緒に受ける。
で、今年の人間ドックでは気になることを言われてしまった。
胃のレントゲン写真を見ながら「ピロリ菌が悪さをしてますね。」と医者が言うのだ。
実は、5年前にピロリ菌の検査をしていて、思ったとおり陽性反応がでた。原因は、おそらく、想像するに、私の母親が、赤ん坊である可愛い私に、口移しで何かの食べ物を与えたのだろう。と言うことは、私は幼い頃からピロリ菌と何十年も一緒に生きてきたわけだ。
言わばピロリと共生してた。とも言える。
医者に陽性ですと言われた時、それでも、『ピロリ』って、なんとなくほのぼのとした名前だな・・・・・、と、その程度でしか思って無くて、妻にやっつけた方が良いよと言われても、昭和の時代のなせる技だなと、許してたわけだ。
しかし、なんとのそのピロリ菌がだ。養い主である私の胃を、壊し始めたのである。
医者は私の胃袋のレントゲン写真を見せて、「ここのところ白い部分が去年に比べて広がっているでしょ。これはピロリ菌の性ですね。」というのだ。
『なんだよピロリ、俺はお前が胃にいるって言われても、除菌しないでほっておいてやったのに、それはないだろう。』
、そもそも<ピロリ菌>と言う名前が可愛く思え、ゲームのピクミンみたいできっと丸いふぐみたいなやつなんだろうな。と、想像していたがそれが間違いだった。
甘かった。調べ見ると、なんとどこかで見たエイリアンのようで、ブにゅっとした体で、突端からひものような物が5本ぐらい出ている。移動するときはそれをグルグルま
わして、胃の中の弱いところを見つけて進のだ。<ピロリ>と言うの名前もドイツ語で胃の幽門のことを言うのであって、菌の本当の名前は『ヘリコバクター・ピロリ』で
<ヘリコ>とはラテン語でスクリューと意味だから、そのひもがスクリューみたいに回って恐ろしいスピードで進むらしいところから、その名がついたのだ。
インターネットでピロリ菌を調べていると、他の細菌についても段々と興味がわくようになった。名前を調べていると、これが面白い。まず、細菌のラテン語の名前が興味を引く・・・・・
【カンピロバクター】食中毒菌 【グラコノバクター サバキダン】?菌 【ハンセヌラ アナモーラプロテウス ミラベリ】?菌 【トルラ ニグラ】イースト菌 【バチルス パンクタタン】枯草菌 【スパロバロマイセス ロシュー】?菌
全部、発音はドイツ語かラテン語らしいのだが、ほとんどカタカナ読みでは発音が出来ない、日本語になじまない名前ばかりだった。 それでも調べていく内に驚いたのが、私が昔子どもの頃はやった 赤痢菌の呼び名は Shigella Dysenterias 【シゲラデセンテリアス】というのだ。で、その名前の由来を調べると、最初に赤痢になる細菌を見つけたのが、有名な志賀潔で、そこから名前がついたのだ。つまり【シゲラ】というの【志賀が見つけた】と言う意味なのだ。細菌の中で日本人の名前がついているのはこれだけと書いてあった。と言うことは多くの細菌の名前は、発見者の名前が着いた物が多いのかも知れない。
そんなふうに細菌について調べていて思ったのだが、医学が発達していない時代に(人間の歴史ではその時代の方が恐ろしく長いのだが)、もし、私が生きていて、『どうして人間は病気になるんだろう、そして死ぬのだろう?』と考えたとする。私なりに想像してみると、
1,病気になる人とならない人がいる。
2,病気になっても死ぬ人と死なない人がいる。
3,と言うことは、病気はその人の個人の状態で決まるものらしい。
ある意味、そんなことしか考えつかない恐ろしい時代だ。この考え方を多くの人達が持ったら、病気はその人の生き方や行いで決まることになる。そしたら、病気になったら、病気になった人は行いが悪いか、わけのわからない悪魔が悪さをしていることになる。もしその病気が感染症だとしたら、悪魔が多くの人達に災いを降り注いでいる事になる。このような考え方によって人は心の救いを求めることになるだろう。これが宗教だ。これは自然災害にも当てはまる。そんな時代に病気になって死ぬときは私はどのように思うのだろう。原因の分からないことで体がどんどん弱って死ぬのだ。嫌な死に方だ。それがもし愛する家族の姿だとしたら、我々は神様にすがりつくしか無い。人々に宗教が必要になる。
それを考えると、本当に今の時代に生きていて良かった。と思える。もちろん、今でも訳の分からないことで死ぬ人もいる。人は今でも宗教を必要としている。でも私は、基本的には、そのわけの分からない事もどこかに原因があってそれによって結果がある。これが科学の考え方だ。今苦しいのは、まだその仕組みが分かっていないだけだ。そして、その仕組みはいつかは明らかになる、決して自分の行いや悪魔のせいでは無い、ましてや自分の心のあり方では無い。その考え方が出来る時代に産まれて本当に良かった。
もちろん科学では解明できないものは未だたくさんある。それでも、科学的考えによりどんどん訳の分からないことが解明され、訳の分からない事で苦しめられることが減ってきた。いくら宗教が発達してもこれが出来ない。
宗教は病気で死ぬ人間を救うことは出来るのかも知れないが、病気を治せることはどんなに宗教が発達してもそれはできない。つまり、宗教には救いはあるが、希望が無いのだ。しかし、科学にはいつかなんとかなるかもしれない希望がある。
今の時代、まだ『どうしてこうなるんだろう。』と思うことがたくさんある。それによって悩み苦しむことも多い。でも、それも解明される時がいつかくるだろう。そう思って私は死ぬことが出来る。私にとってそれは、生きる希望だ。
人類は科学的な考え方で理性を持って前に進むしか希望は無いのだ。
