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同居している37歳の息子が68歳の実の父親を刺し殺した事件に思う。(子どもは親を頼って良い、しかし、利用してはいけない。)

Category : 未分類 4月 8th, 2017

この熊本で起きた事件を知って、とても考えさせられた。何故なら、今、私は36歳の息子と同居に近い生活をしているからだ。

何故、この事件が起きたのか?私は詳しく知りたくて情報を集めてみた。大まかには、68歳の父親と同居している37歳の息子が夜9時頃二人で酒を飲んでいた。しかし、(恐らく父親が息子を戒めたのだろう。)口論になり、カッとした息子が台所の包丁を持ちだし父親を刺した。息子は逮捕後「いらいらして刺した。殺すつもりはなかった」と供述しているという。私が一番知りたかったのは口論の内容だったが、そこまで取り上げているニュースは残念ながら無かった。

親子とは何か?思うに、人は子どもが産まれて親になる。産まれてきた赤ん坊を抱き、自分たちの子だと自覚し、愛おしく思う、それはどんな親にも最初に始まるエモーションだ。(例外もあるが、ここではそこには触れない。)子どもは小さく、か弱く、一人では生きていけない、そこで自分に絶対的な愛を持つ親を愛し、頼る。そして、親は自分を頼ってくる幼い子どもをさらに愛おしいと思い育てる。この相互の愛情関係でで子どもは成長していく。それは自然の姿だと人は思っている。それなのにどうして、そんな親子関係において子どもが親を殺してしまう状況が生まれるのだろう。

まず最初に、動物の親子関係を考えてみよう。北海道の小熊が成長する動画が良くメディアに流れているのを目にするが、そこにはとてもわかりやすい親子関係を見ることが出来る。私たちはかわいい小熊を育てるお母さん熊の献身的な姿や、多くの苦難を乗り越えていく子どもの成長する姿を見て共感を呼び感動をする。そして、郷愁を呼ぶのは親ばなれのシーンだ。小熊が大きくなった時、本能的に親は子を追い出し子離れをする。子どもは訳もなく置いてかれ唖然としながらも、仕方なく親離れをする。そして、ひとりぼっちになった子どもはたくましく生きようとしながら自然と親の存在を忘れ、親も子どもの存在を忘れどこかでまた生きていく。動物に備わっている本能が親子関係を作っているのだ。
社会生活をする猿はどうだろう?彼らも、子どもが大きくなれば(一緒の群れには居るけど)親は育てる必要が無くなった事を本能的知っていて、子どもに興味を失い。子どもは親から自主的に離れ、大人の猿一匹として群れの中で生きていく。熊と共通するのは、本能的に親が子どもを疎ましく思い、そして子どもを追い出すのだ。親から子どもとの親子関係が打ち切っているのだ。そしてそれは成長した子どもとって必要な過程であり、独立した子どもは新しい生活をすることによって、伴侶を見つけ子どもを産みその子どもに愛情を注ぐ、それは一般的な動物が種を存続させるためのシステムだ。
もし、人間が動物の本能で親子関係を支配していたら、熊本の事件は起きることは無かったのでは無いのか。

ところが人間はそうはいかない。残念ながら動物と違って単純では無い。
人間の親は熊と違って、簡単に子離れをしない。子どもが独立しても子どもへの愛情が薄れていかないのだ。人間の親は子どもが独立して遠くに離れても、子を思う愛はあり、大人になった子どもの事を心配する。それは子どもの未来を想像し、子どもがちゃんと生きているかを案じ想像することが出来るのからだ。つまり、脳の発達した人類は(本能的に子どもへの愛情が薄れる熊と違って)想像力によって親子関係が継続するのだ。。だから、人間の親ははいつまでも子どもを愛しつづけ、親から独立したあとも心配し続ける。
これは人間が想像力を働かして未来を見つめ高度な社会生活を築こうとする故である。人間が獲得した新しいシステムだ。人間がより繁栄するための脳の発達がもたらす親子関係なのだ。想像力があるからこそ、親は子どもの未来を心配し、なんとその孫まで愛情を注ぎ支援し続ける。人間のなせる技だ。当然、独立しても上手く生活できない子どもはその親の愛や援助に感謝するだろう。人間社会では、困っている子どもは親の支援を得て困難を乗り越えることも出来るのだ。
しかし、子どもはもうすでに大人になっている。幼いときの親子関係とは違う。支援されている子どもは、心の奥底では、自分は独立してないことを感じている。そして、それを人間社会では『甘え』と呼び自分を戒める。独立心の強い子どもは心の奥底で親への甘えを否定する。いつまでも甘えていては自分が一人前の大人として成長してないと思うからだ。
しかし、困ったことに、すべての子どもが独立心の強い一人前の大人になるわけでは無い。甘えが心地よければ良いほど、子どもは援助を期待する。そして、それに慣れてくると最初の感謝の気持ちが薄れ→援助を求めていた子どもから、今度は親の愛情を利用する子どもに変わっていくのだ。親の愛情が心地よいだけにもっと甘えてしまうのだ。許されることでは無い事はしっているのだけれど、子どもは自分の独立をより援助される心地よさに負ける。そして、麻薬のように援助を求め、『子どもを助けようとする親の気持ち』を利用としてまうのだ。そして、それが、親と子どもの愛憎劇を産む。かつての私がそうだった。

私は17歳の時に、航空高専を中退した。理由はいろいろだが、自主的に中退した。当然母親は反対した、が父親は許してくれた。しかし、私は夜は午前3時頃まで起き、朝9時まで寝て、昼は図書館でぶらぶらする。どうしようも無い子どもになったいた。私は働きもしないし勉強もしない(大学受験をしている振りはしたけど)親に甘え頼り続ける状況の子どもだった。親はこのどうにもならない子どもをそれでも支援しつづけた。そんな生活が2年間続いた。私は親の愛情に感謝していたが。しかし、いつまでもその状況が長く続くと、(この生ぬるい楽な環境の中に長くいると)子どもは変わる。親に対する感謝の気持ちは薄れ、知らないうちに親の愛情を利用して生きている子どもになっていた。私はこんな生活は駄目だと心の奥底に感じながらも、将来の不安を抱えながら親に甘え続けた。
それでも時が経つにつれ、私の親はこの子どもの姿を見てこの状況がいつまで続くか分からないから、いらだち始めた。私がいつまでも親に甘え続けるのでは無いかと思い始めたのだ。特に私の母親は息子のだらだらしている生活を見ていらだった。そして、私を非難し始めた。父親は話し合いで私の未来への展望をひきだそうとした。そして、私はそんな親を疎ましく思い始めるのだ。ひどいときはこんな状況になったことを社会や親の性にした。そして、憎しみと自虐的なエネルギーが鬱積し始めた。親は子どもへの愛情のあり方に悩み、子どもはこの生ぬるい環境から抜け出せない自分にいらだち、その感情がぶつかりあい、そこからどうしようも無い愛憎劇が始まった。

熊のように子どもを捨てられない親と、親離れの出来ない、いつまでも甘え続ける子、この親子のどろどろ状況から抜け出すには、どうしたらよいのか?

私の場合は親の愛を利用している自分にいやけがさし自分を戒めた。なんでもいいから親と距離を置くことで解決した。アルバイトをしてアパートを借り、物理的に同居を止め親元から離れたのだ。でも、絶対的な独立はしなかった。大学に入るために、親の援助はどうしても必要だと考えたからだ。親もその息子のため援助は続けてくれた。それだけの事だが、気持ちのぶつかり合いを避けたことにより、私は大学受験に集中できた。その後、2年かけてなんとか国立大学に入学できた。そして、親子関係は正常に戻った。

さて、前の話に戻るが、この熊本事件はどんな状況で悲劇的な結末になったのか、(真相は知らないが)この愛憎劇のいきさつが何となく想像がつく。その一つの原因が同居にあると事を私は知っている。大人になっても甘える子どもとその甘えを許す親が一緒に家に居る事によって、先に述べた対立が始まるのだ。恐らく、父親は最初は一緒に酒でも飲んで息子を聡そうと思ったのだろう。だが、楽しく始まった話も息子の将来のことになると、親は子どもが就職していないことを戒め始める。次に、そんなことでは結婚も出来ずお前の一生はつまらない人生になるんだぞと、子どもの将来の不安さを等々と述べただろう。その時点で、子どもは親のそのねちねちさにいらつき始める。その将来への不安を一番に感じているのはその息子だからだ。そして、親は『お前はいつまで親に甘えているつもりなんだ。』息子を責める、自分のふがいなさを戒められることにより、親に感謝したいと思う愛が憎しみに変わる。『誰のせいで、俺はこうなったんだ。』息子は自分が親から独立できないいらだちの負のエネルギーがどんどん鬱積して親に向かう、最後には『全くお前はどうしようも無いやつだ。』と父親は言ってはいけない言葉を言ってしまう。『うるせぇ、全部お前のせいだ、ぶっ殺してやる。』息子は汚い言葉を吐きながら包丁で親を突き刺す。二人で楽しく飲めるはずだった酒が、子どもの親殺しのスイッチを入れさせた。

親は大人になっても頼ってくる子どもを助けたいと思うことは自然である。私は親の立場からそう思う。そして、大人になった子どもも、かなり困っているなら親に助けてもらいたいと思っても良い。かつて子どもだった立場からそう思う。大人になった子どもにもまだ愛情が持てる親は人間手的で有り、そんな親にいつまでも愛情を感じ甘えたいと思う子どもも人間的である。だから親に余裕があって援助できる力があるなら、子どもを支援して良いだろう。しかし、大事なことは、子どもは親を頼っても良いが利用してはいけない。(こども自身が)親の支援に対する感謝の気持ちちが段々と薄らいできたとき、(頼ってたことが甘えに変化し、利用することに変わり始めたとき)それは危険信号だ。また、親自身は最初は支援のつもりだったが『自分は子どもに利用されているんでは無いか』という愛を疑う気持になったとき、それも危険信号だ。そこから愛情の行き違いが始まり、愛していることが憎しみに変わり、口論して互いに傷つけ合う。そうなる前に子どもはだらだら続く自分の甘えに気づかなければならない、そして、子どもから親元を離れていかなければならない、なぜならば、親は(熊のように)子どもを突き放したい気持ちと子どもを愛し続けたい(人間的な)気持ちとの狭間で悩んでいるからだ。だから、親に「子どもを突き放す」ような言葉を言わせてはいけない。親が子どもの未来を心配する気持ちを、子どもは利用してはいけない。

 

 

 

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