Takayoshi Anzai

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40年前に作った8mmの映画を見て・・・・・恥ずかしい気持ちがよみがえる

Category : 未分類 11月 20th, 2017

私が大学生の時、大学の専攻が舞台芸術で、8ミリフィルムの映写機を回して映画を撮っていた時期がある。何故舞台芸術かというと学芸大学の美術部学部には映画科が無かったからだ。先日、古い8ミリフィルムをデジタル化できるマシンを貸し出ししていることを知って、三日かけて8ミリのアナログ画像をデジタル化した。

その中におふざけで撮った、青春映画があり、それを久しぶりに見ることになった。映画に出演している人達が懐かしくよみがえり、あれから40年過ぎたことを実感した。しかし、本当は私はその映画あまり見たくは無かった。どうしてかというと、その映画見ると三つの恥ずかしい思いがよみがえるからだ。

 

その一つは

懐かしい出演者の中に、後に新しい「ゴジラ」や「デスノート」の映画監督になった金子修介君がいる。その当時、学芸大学に映研があり、そこにはあの押井守君と金子君がいたわけだ。あの時はそんな実力のある人だとは知らなかったから、金子君が作った映画を見て感動して、おれもできると思ったのだ。それで何をしたかというと、なんと私は金子君のアイディアをパクってその映画を作ってしまったのだ。その上で金子君に出演してもらい、そのできた映画を見せてしまった。恥ずかしい。だから、私の作った青春映画を見る度に、人のまねをしかできなかった大学生の自分が思い出されてしまうのだ。

もう一つ

その出演者に私の映画制作を面白がって参加してくれた人が二人いた。国分寺で「赤城」という割烹料理店で板前をしていた小林さんとパブで働いていたフウちゃんだ。(今はどうしているのだろう。)

映画を作っているときのある日、(当時、私は大学の前の安アパートに住んでいた。)それも朝の5時に窓に石を投げる人がいた。それがその二人だった。寝ていた私を起こして「話がある。」というのだ。私は眠い目をこすりながら二人を部屋に上げて、話を聞いた。

すると「安斉さんは俺たちのことどう思っているのだ。」険悪なムードで私に迫った来た。40年も前で詳しくは覚えていないが、話の内容はどうも<<パブのホステスだった『フウちゃんは水商売の人だから、簡単に俺の映画に出演してくれるよ。』と、二人を見下した気持ちで出演を依頼した>>とそう友達に私が話したそうだ。その友達がその私の話を二人に教えてくれたと言うのだ。(なんでそんな事、二人に言ったんだよ!)「安斉さんは俺たちをそんな風に思っているのか。」とその時に怒りながら問いただしてきたのだ。そう言われても言った覚えが無いし、友達がどういう風に二人に言ったかも分からないし、彼らがそれで傷ついたと言われて、謝るのもおかしいじゃないか。

それでどうしたかというと、私は彼らに逆ギレした。何故なら、彼らはその友達の言った事を聞いてから、『安斉さんがそんなこと言うのかな?』と普通に疑問をもって確かめに来たなら分かるが、しかし、彼らはそうでは無かった。友達の話を鵜呑みにして、安斉さんならそう言う人だろうと思って、腹を立てて朝私の所へ来たのだ。事実、私はそんなことを思ったことも無いし、その友達にそんなことを言った覚えが無い。(今となっては良く思い出せないが)ただ、もし反省するなら「フウちゃんなら、出演してくれる。」と軽い気持ちで出演を依頼したことはたしかだ。それは、二人と酒を飲んでいたときに、映画の話をしたし、彼らは私たちが大学生で映画を撮っている変わった奴らで、そんな私たちの映画に興味があったから、私はその好奇心を利用して映画に誘ったことは確かだ。反省するならこの事がきっと私の態度に現れていたのかも知れない。しかし、私は『私たち大学生はエリートで偉くて、で彼らが水商売をしている下位の人だ』なんて微塵にも思ってない。私が彼らに声をかけたのは<同年代の環境の違う生活をしているもの同士>の好奇心に過ぎない。しかし、フウちゃんは私が水商売の女だと見下したと思ったわけだ。(言った覚えは無いけれど・・・・・)

その事は40年も前のことだから、言ったか言わなかったかははっきりと思い出せない。その友達も「お前が言ったんだ。」というのだろう。しかし、言ったとしても、何故その友達はその事をフウちゃん伝えたのだろう?思わす、口を滑らしたかも知れないが、その事で私は悪者になった。友達は私を悪者にするために言ったのか?

で、私は彼らに「おれがそんなことを言うわけ無いだろう。」と逆ギレして「フウちゃんはその友達の言葉信じて俺の言葉は信じないんだね。」と言い返した。だって、私は彼らを友達と思っていたし、今までだってみんなでわいわい飲んだり、みんなでドライブしたり遊んだ。その時に、私がそんな失礼な態度や言動があっただろうか。無い、私は彼らの生活や考え方に好奇心があって、よく質問したし、私の知らない世界の話は面白く、酒を飲みながら話を聞くのが楽しかった。だから、その気持ちを二人に伝え、納得してもらった。(と思う。)

あの当時、私は人生を生きる哲学があった。それは私が高専を中退して、大学に入り直すために浪人を4年間もやった、その時に、身につけたものだ。4年間の浪人生活はつらく長かった。それで、技術者から教育者に方向転換して、ようやっと学芸大学に入れた。その時の哲学は、『人生は一本のロープの上を歩いているようなあやふやなもの。』ということだ。人は社会の中で、いつ何時ロープを踏み外して落ちるかも分からないで生きている。『人生には確実な生き方など無い。』権力者だろうが貧乏人だろうが、水商売だろうが将来を夢見た大学生だろうが、イケメンだろうが醜男だろうが、いい大学に入れたのか入れなかったか、成功者か敗者か、天才か凡人か・・・・・そんな価値観で振り回され、悩んでいても確実な生き方を模索していても、ロープから落ちればそれでお仕舞い。それは大きな失敗かも知れない。大きな事故かも知れない。病気かも知れない。突然の死かもしれない。だから、ロープの上では渡ることに嫉視で、そんな価値観は関係ないはずだ。ロープが大きく揺らいだ時なんとかバランスをとる方法を考え、切り抜けるようとする。でも、またいつかロープは何か事があれば大きく揺らぐ。人生には安定したロープは無いのだ。だから、問題はそのロープ渡りでビクビクして生きるのか、慎重になるのか、ロープの上にいることを忘れて歩くのか、ロープを太くするように努力するのか、バランスをとる訓練をするのか、バランス棒を探すのか・・・・・みんなロープを上手に渡ることに努力する。・・・・・大事なことは、自分はその人生というロープの上でどのような気持ちで生きるか考え、決定し、いつかなんかでロープから落ちても、そこまでよく頑張ってきたなと思える自分であることだ。その事を浪人時代を切り抜けて大学生になった時、私は実感して悟った。だから色々な人が色々な生き方を決め、職業につきロープを上手に渡ろうとしている、小林さんもフウちゃんもそうだ。どうして私が職業の違いでその人をを見下さなければならないのだ。

しかしながら、私はこの40年前に撮った8mm映画を見て、その事件を思いだして恥ずかしく思う。何故なら、(あれから私は40年も経って、)8mmの映画を見終わって、ふとこんなことを考えた。それは、工画堂の重役になった、城石英幸君。障害者支援のパン屋さんを開いた杉田輝彦君。今も福祉に力を入れている大野正浩君。映画監督になった、金子修介君。芸大に入り直してから電通に行って自動車の画像のでないベンツCMを作った、村田一美君。青のグラデーションをテーマにして版画を作っている笠井正博君。・・・・・私はみんなを、彼らの仕事ぶりをすごい。と思い、自分は何を残したのだろうかと、自問したのだ。
ロープ渡りの哲学で、ロープを渡るときの思いが大事なんだ。といっているのに、なんだかんだ言ったって、私は8mm映画に出演してくれた人達の生き方を私と比べているのだ。それは、結局、観客になって、ロープの上を渡っている人を比べている自分がいると言うことだ。ロープ渡りの哲学はなんだったのだろう。恥ずかしい、自分はもうロープを渡っている人間とは思わず、ロープを未だ頑張って渡っている人達を客観している自分がいたと言うことだ。自分より、力がある人を見て、才能がある人を見て、カネがある人を見て、社会的地位を見てうらやましいと思う自分がいたと言うことだ。そして、その価値観で人生に上下をつけ、自分がどの位置にいるのだろうと比べている。それは私の人生は終わってロープから降りたと思っている事だ。あ~あ、私は、40年前の私より弱い人間じゃないか。ロープを渡っているときのその自分の気持ちが大事なのに、もうロープから下りたと自分は決めつけた。そんな自分がいることが恥ずかしい。これではフウちゃんや小林さんに申し訳ない。もし今、また二人に会ったら「安斉さんはやっぱりそういう人だ。」と言うのだろう。今、あの二人はどんな人になってどんな生活をしているだろうか?

もう一つ恥ずかしく思い出されること

あの当時、映画が好きで自分はそれに関われる職業につけたらいいな。と言う気持ちと、先生になって公務員として波風のたた無い人生を過ごしていこうか、と言う気持ちが葛藤していた。よくテレビドラマの中で、「自分の納得する人生を生きたら良い。」と賢者が言うのだが、私は言いたい。「どれが良いか分からないから納得できないんだよ。」と。結果、私は公務員を選んだ。(それについてはまだエピソードがあるのだがまたいつか)

で、)なんかそんな自分が嫌で、何かに挑戦する自分の気持ちから逃げたように思われ、落ち込んでいた。そんなとき、学芸大の学園祭があり、(その時にその青春映画の上映会をしたのだ。)その打ち上げでやけ酒を飲んていて(その前に失恋もあったが)かなり酔っ払っていた。良く思い出せないんだけど、どうも私は「死ぬ、死ぬ、死んでやる。」的なオーラを出してわめいていたらしい。そして、私が急にいなくなったらしい。そこの所はあまり覚えていないが、その後、国分寺の町をふらふら歩いてい、気がつくと私の部屋で一人酒を飲んで沈んでいた。その時に、D類の工芸をやっている三田村君が私の部屋に来てガッとドアをあけたのだ。そして、私がいることを確かめて安心した顔を見せて、何も言わず、消えた。後から話を聞くと三田村君は高校生の時に友達が自殺したのだそうだ。それで、私の様子を見ていて、もしかしたら<安斉は自殺するのかも知れない。>と思って私を探しに部屋に来たのだそうだ。恥ずかしい、三田村君は私が部屋にいるのを確かめて安心していた。それだけでは無くその目には「なんだ口先だけか」という安堵もあった。映画を見るたびにその三田村君の顔を思い出すのだ。恥ずかしい。

この間、普段忘れている学生時代の出来事が、8ミリ映画を何度も見る度に思い出された。そして、良いことののか悪いことなのか分からないが、今度その映画の上映会を40年ぶりにやろうと思っている。

 

2017-11-20_16h00_22

“Don’t pass me by” 映画のラスト

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