Reasons Why You Need To Go See ‘Blade Runner 2049′ On The Big … Forbes2700×1350画像で検索 Credit: Warner Bros
最初にBlade Runnerを映画館で見たのは大学生の時だった。SFの好きな私にとって、2001 a Space Odysseyを見て衝撃を受けて以来、2回目に衝撃を受けた映画だった。近未来という言葉もそれから使われるようになった。
ここで自慢話が始まるが、50年前、私は高校生だったわけだが、その時代に友達とSFの同人誌を作っていた大のSFファンだ。幼いときから、トワイライトゾーンを見て育った子どもである。コナンドイル、アーサーCクラーク、スタニスラム・レム、星新一、筒井康隆、小松左京、ひたすらSF小説も読んだ。映画では「禁断の惑星」「ボディスナッチャー」を映画好きの父と一緒に見たのを覚えている。しかし、映画のSFは面白いけど嘘っぽく芝居がかっていた。だから、17歳の時に見た「2001 a space odyssey」は衝撃的であり、あのリアリティさに打ちのめされ、以来、近未来もののSF映画が大好きになった。でもその後の、「スターウォーズ」、「スタートレック」を見てもSFだとは思わなかった。あれは宇宙を舞台にしたファンタージーであり、「ロードオブザリング」と同じである。詳しく分析するとスペースオペラと言うんだけど、SF映画では無い。SF映画はは科学的事実に基づいて描かれることこそSF映画だ。ファンタジーはscience fictionでは無い。「Blade Runner]を見たときは2001 a space odysseyと同じ感動を覚えたのだ。そうして「Blade Runner 2049」は私の期待に応えてくれた。
一作目の「Blade Runner」のテーマは、人間の奴隷として生まれたレプリカント、それは人間に「命と何か?」を訴えた。「自分は何のために産まれてきたのか?」この命題をレプリカントは考える。「お前ら人間は考えないのか?」レプリカントは人間にそう叫ぶ。その時代、『地球温暖化』は一般的な言葉では無く地球の危機を感じている人達は一部の人達だった。監督のリドリースコットはいち早くそれを映像で見せた。酸性雨の降りしきる大都会、エネルギーを無駄に消失し、炎を上げる煙突、それでも生きる人達、中国人と思われる人達が自転車で走り回り、デッカー警部はうどんを食べる。SFを愛する私にとって、もう堪らない映画だった。CGの無い時代の2001スペースオデェッセイもすごかったが、CGの先駆けでもあるBlade Runnerもすごかった。
そして、嬉しいことにその続編がその後を引き継いでいた。
2049は一作目とテーマが同じである事はもちろん嬉しかったが、それに加えて映像と音も一作目を引き継いでいたことだ。そして、一作目以上にCGのリアリティはとても素晴らしく、一作目を超えていたので嬉しかった。これは新しいBlade Runnerではなくて、一作目の感動をそのまま私の心によみがえらせた続編だったのだ。
その中でも最初に私の心に残ったのは、レプリカントの男とAIの女の愛のやりとりだった。生殖機能の無いレプリカントの男、AIが作る実態の無いホログラムの女、それでも二人はお互い心を通わせ逢い恋をしている。なんとも悲しい、報われない、そして切ない、でも二人はお互いを必要としている(それともプログラムされた疑似恋愛とも思わせる演出)まさに近未来を予言させるエピソードだ。
余談だが、もし、私はAIとの恋愛が可能な未来に生きていたら、(この可愛い女優はキューバの人でアナ・デ・アルマスという女性なのだが、)ホログラムでも、絶対的な愛で自分を愛してくれるAIの女性を愛しちゃうだろうな。だって、自分好みの女性をプログラムして、自分を絶対の愛で包んでくれて、自分好みのスタイルとルックスを持っているとしたら、条件が整っているわけだから、心を奪われてしまうだろう。それに、自分がどんな人間であっても女性に嫌われるような男でも、私のように老人になっても、若い理想の女性が私を愛してくれるのだ。心を奪われるのが当たり前では無いか。
しかし、でも、私はそこで考える「それで良いのだろうか?」自分を好きになるようにプログラムされたAIだ、所詮、疑似だ。ほんものでは無いんじゃ無いか?飽きたらプログラム変えたり、新しいプログラムに書き換えたり、仕舞いにはリセットも可能なのだ。そんなAIにいつまでも愛せることができるのだろうか?
映画ではその男と女の愛を描く。しかし、最後にはレプリカントが愛したAIの彼女が消去される。そのときに手を差し伸べてAIの彼女は「I Love you」と言うのだ。そして、消えるのだ。死ぬのでは無い、消えるのだ。なんとも悲しい最後だ。目の前で自分の愛した人が撃ち殺されるのも悲しいが、AIのメモリーが消去されるのも悲しかった。悪役の女レプリカントが「自社の製品を楽しんでいただけたかしら。」と言ってメモリーを壊すところがなんとも言えず怒り以上に皮肉がまじり、悲しい。
2049の映画のラストシーンは、主人公のレプリカントが使命を終えて階段に横たわり力尽きる。血を流して死んでいく・・・・・人間とは違った、悲しい死である。脚本を書いたリドリースコットはレプリカントを美しく描くのだ。(なのにエイリアンコベナントを見たけどあれはただのモンスターパニック映画に終わったしまった。)この美しくも悲しいSF映画はあまりヒットしないで終わった。残念である。でも、2001 a space odysseyが最初はヒットしなかったように、この映画も隠れた名作になるであろうと、私は思っている。
