Takayoshi Anzai

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2020年 Happy New Year!

Category : 未分類 1月 7th, 2020

2020年がスタートした。昨年度末から知っている人が亡くなっていくので、私にとってあまり良いスタートではない。

でも、世の中はどんどん先に進み、日本は東京オリンピックで騒いでいる。その裏で、YouTubeではユネスコが難民問題を訴え寄付を募る。大事な指導者が殺されたことでイランはアメリカに報復の予告をしているニュースを聞く。私の頭脳ではどうにもならないことが多すぎる。世界がおかしくなっていることに目をつむり、世の中の不幸には触れず、明日の楽しみを計画する。

で、今年の年賀状です。 今年もサイモンとガーファンクルのアルバムのパロディです。   あけましておめでとう御座います。

Sound silence

何故自民党は安定政権なのか?

Category : 未分類 7月 8th, 2019
先日、友達(わたしを含め三人で)と半年ぶりで飲みに行った。その時に、話題が政治になり、「どうして自民党は政権を維持できるのか」それについて議論になった。議論がどんな流れでそうなったかは忘れてしまったけれど、友達は
人はそれぞれでいいんじゃ無い。その人にはその人の考えがあるんだから・・・・・。」と言った。
その時私はええっと思った。これ麻生大臣も言ってたよな。
 この考え方が自民党を維持させているんだな。と直感した。
わたしは思わず「馬鹿それは違う。」と言ってしまった。
友達はちょっと怒ったみたいだった。友達は「馬鹿呼ばわりする事態、お前は間違ってるいる。」と反論した。そうか、馬鹿は駄目か・・・・・その後、、もう一人の友達が議論を止めた。
 だが、しかし、今こうして、冷静になってみると、やはり、わたしの直感は正しいと思う。理由はこうだ・・・・・・・・・・
①「その人にはその人の考えがある。」と「その人にはその人の個性がある。だから人はそれぞれだ。」とは区別しなくてはならない。
 たとえば、風呂の温度を考えよう。個人で入る風呂はその人の考えとその人好きな温度で入れば良い。人それぞれだ。個性に従って入れば良い。
②しかし、共同風呂はどうだ。その人の好みで温度を決めることは出来ない。人それぞれだからだ。どんな温度で決めても、誰かには不満だ。
 だから、風呂の温度が何度が好みなのか話を聞いて決めなくてはならない。「その人にはその人の考えがある。」では、風呂の温度は決められないのだ。
 そして、社会は共同風呂のようなものだ。
③それならどうする。力のある誰かがが「この温度にしよう。」と言ったら、絶対主義の温度になる。たくさんの人の意見を聞いて、一番多い意見の温度で決める。民主主義の温度だ。現在の日本は民主主義の国家だ。だけど、少数だった人はその温度では寒すぎるとか、熱すぎるという不満が残る。
④その現実を解消する方法は無いのか、「多数決だものしょうが無いよ。」と諦めるか、「この温度がいいという自分と同じ考えを持った人集め、他の人を説得しよう。」「力ずくで自分の好み温度にしよう。」等、解決の方法は人それぞれ違ってくる。
諦めたからと言っても納得出来ないし、同じ考えを持った人が多く集まって温度を変えても、今度は他の少数派が同じ事をする。暴力がまかり通ったら最悪だ。
⑤そこで、自民党は言う。「まあ、人それぞれだから、いろんな考えがあっていいんじゃ無いの。」麻生大臣ならしたり顔で言うだろう。
 わたしはその言葉にむかっとくる。何故なら、彼らが風呂の温度を変える装置を持っているからだ。
 あなたたちが好みの温度に設定して、「ああ、いい湯だ。」と言っていて、寒いと感じる人や、熱すぎると感じる人に向かって、そう言うのは頭にくる。そこで、わたしは友達に思わず「馬鹿!」って言ってしまった。
⑥「何言ってるんだ。どんな温度にしても不満があるじゃないか。だから、私達の考えで温度を設定して、多くの人がそれを支持しているんです。だからこの社会が安定しているんですよ。」と自民党は言う。じゃあ少数派は我慢して風呂に入るか、「冷たいけど考えようによってはちょうど良いかもしれない。」自分を多数派の意見に変えようとするか・・・・・
⑦わたしは考える。『この風呂の温度を決められない現実』それを打開する考えは無いのか?
 そこで、やっぱり昔知ったヘーゲルの弁証法しか無いのかも知れない。と、わたしは思った。
 Aの意見があってBの意見もある。そのままでは、どうにもならない。しかし、議論を戦わすことによりCの意見に達するかも知れない。この弁証法の可能性こそ打開の道であるとわたしは考える。
 ちょっと前、日本にも政権交代があった。AからBに変わったのだ。しかし、国民はBのふがいなさにいらだち、またAに戻した。「ほら見なさい、私達の方がよっぽど良かった。」この言葉がイケない。何故なら、弁証法ならAとBを比べたのだから、よりよいCに変化しなくてはならなかったのだ。しかし、またAは自分らを何も変えず同じ事を繰り返す。
⑧じゃあどうしてそうなったか、Aの意見が多数派で「この風呂の温度が気持ちよく、できたらずうっとこの温度にしていたい。」と思っているからだ。安定維持だ。変化を受け入れないのだ。
 弁証法であったら、多数派のAの意見も少数派のBの意見もおたがいを認め、比べ合い、議論を重ね、Cの考えを導き出す。それが少しでもおたがい納得しているなら、AはA’、BはB’へと変わる。それは以前のAとBではない。議論によってCの考えを導き出したAとBなのだ。それをまた繰り返し、A’’とB’’と変化のスパイラルを繰り返し、高まっていく。それが弁証法なのだ。その事がだいじなのにAは安定維持のためBを否定し、議論を避けているのだ。
⑨現在の日本の社会は議論が無い。ツイッターでつぶやくだけだ。国会は多数派が安定を維持するため議論を拒否している。だから、麻生大臣が「人には人のそれぞれの考えがあっていいんじゃ無いの。」と言う。おたがいを認めたような言い方で、議論を拒否する。国民は「まあ、ちょっと自分の好みと違うけれど、この風呂に入れないいわけでは無いから、いいかぁ」「人の意見を聞いて話し合うのも面倒だし、だいいち何も変わらないし・・・・・」
今の日本、いや世界に必要なのは、弁証法で議論が出来る空間かもしれない。
⑩今、現在、人々はネットでつながり始めた。しかし、ツイッターでは言いっぱなしで議論が無い。いがみ合いが残るだけだ。可能性があるならフェイスブックのほうがましだが・・・・・それでも、自分と同じ意見の人達が集まる。違う意見の人とは議論しない。逆の方向に行っているのだ。
 重要なのは、ネット社会でも『おたがいを認め、意見を出し合い、冷静に議論して、少しでも納得する新しい考えを導き出す』そんな場だろう。
 
ネットには世界を変える可能性があるんだから、誰か弁証法で真面目に議論が出来るアプリを開発したら、この世界を良い方向に導く力になるかも知れない。自分にそんな力があったらなぁと思うのだ。
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天皇陛下万歳と金正恩将軍万歳と何が違う。同じじゃ無いか!

Category : 未分類 6月 2nd, 2019

時代は平成から令和に変わったという。まあ、今私は元号を使わないからどうでもいいと思っていたけど、テレビで見て、怖くなった。何故なら、その時代に期待をかけたり、皇室を敬う姿と同じ姿が北朝鮮にあったからだ。

多くの人が北朝鮮の金一家が国を支配している姿に嫌悪しているのに、天皇を見るために皇居を訪れ天皇陛下の前で「天皇陛下万歳」を三唱をしている姿には嫌悪を感じない。あの人達が北朝鮮をありかたを「いい国だなぁ。」と思っているならいいけど、もし北朝鮮を非難してそれでいて天皇陛下を崇拝しているなら大問題だ。自分たちをどう思っているのだろう。天皇は歴史的に日本が必要としている存在で、金正恩と大違いだ。と、言うだったらそれはおかしいぞ。
私は見た。同じニュースで見た。皇居で「天皇陛下万歳」を唱える人達と、金正恩の為に集まって「金正恩将軍万歳」唱える人達の顔つきと姿がまるっきり同じなのを見た。みんな何かを信じ歓喜の顔をしていた。これは何だ!

話を変えるが、昨日、大坂なおみが全仏オープン3回戦で負けた。自分のプレーが上手く展開できずミスを連発して、負けた。ベンチにすわっている大坂なおみはいつもと違って、目がうつろだった。それを見て、自分と戦っているがどうにも出来ない現実をなんとか打開しようとしている彼女の苦しさがひしひしと伝わった。その時彼女は何を思っているのだろうか、「神様助けて!」と言っても駄目だし、「大丈夫、大丈夫自分を信じろ!」と松岡修三の言葉を思い出しても駄目だし、あの状態の彼女をどうやって救うことが出来るのだろう。自分もテニスをしていて分かる。全部上手くいかないのだ。絶望と孤独だ、彼女は救いを求めている目をしていた。
もう一つ、川崎でバス停で待っている子どもたちを刺しまくった男の状況が理解できる。孤独や絶望が自殺に向かい、怒りが他殺へと向かう。自分ではどうにも出来ない状態。どうしたら良いんだ。
絶望、孤独、怒り、このプロセスが怖い。
多くの人達はその過程で、救いを求める。その救いが無い人は現実から逃れるために死を選ぶ、それが自分だか他人だか分からないが最後のエネルギーを使って現実から逃げるのだ。
そこで問題なのが、『人間はその時何に救いを求めるか』だ。
救いは必要だ、なんとか生きる希望を持ってこの苦しみから逃れたい。しかし、その救いが何であるかが問題だ。それが神であったり、言葉であったり、社会のつながりであったり、・・・・・等 自分を救っているくれる何かは確かにある。だから、多くの人達がまだ未来を信じて生きている。

そこで、話を戻すがその救いが「偶像崇拝」だとしたら、それは大問題だ。その行き着く先に未来は無い。簡単に言えば「天皇陛下万歳と金正恩将軍万歳とがいつかぶつかり合う未来」には戦争しかない。
ある事を信じて生きていくことは人間には必要だ。それは分かる。しかし、「偶像崇拝」は困る。何故なら自分たちの信じるモノが一つでも。偶像は多数だからだ。いつか、信じるもの同士が対立する。戦争は無くならない、これは崇拝しているからどうしようも無い。自分の姿を疑わないから、そうで無い人を認めることが出来ない。他のモノを信じる人達が敵に見えてしまうのだ。
「天皇陛下万歳」と「金正恩将軍万歳」とは同じだと言うことに気がつけ!!!
最近、日本は天皇陛下万歳を唱える人達が増えてきたように思う。なにか、トランプ大統領が当選した状況。ヨーロッパが右翼化する状況、みんなつながっている。そこに気づけ・・・・・
この状況に危機を感じざるを得ない。
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あけましておめでとうございます。2019

Category : 未分類 1月 18th, 2019

みんな、平成が終わる年だと言っているけど、元号の変わり目は天皇で良いのかな。西暦はグローバルだからしかたが無いとして、私は昭和生まれです。とくくられてもおかしい、だって戦争前の昭和と戦後の昭和は全然違う。昭和45年が何年前なのか全然分からなくなってしまった。歴史的にも元号は元凶があってそれを忘れないために、未来に向かうために定めたらしい。それが良かったな。天皇はどんなに素晴らしい人でも、私と同じ人間だ。一人の人間に合わせて、自分の人生を(時の流れを)計るなんてやはりおかしい。それでも今年から、自分は天皇の人生に会わせて強制的に新しい一年をスタートしなくてはならない。
今年も年賀状はパロディでいきました。昔好きだったS&Gのアルバムです。

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Copy from album jacket “Bridge Over Troubled Water”

ビートルズで良かった。

Category : 未分類 12月 5th, 2018

最近になってビデオでビートルズのドキュメンタリー映画を見た。タイトルは”8 days a week”で、デビューから最後になるコンサートまでのライブ映像をまとめたものだった。それを見て、自分が最初に夢中なった音楽がビートルズであったことをよかったとは以前にも思っていたが。映画を見終わって再び「ビートルズで良かった。」と再確認した。

私は音楽が好きだ。私の人生でそれは欠かせないものだ。毎日の始まりが音楽からと行っても言い。私は音楽を聴きながら作業をする。何を聴くかというと、あらゆるものだ。その日の気分で聴く。クラッシク、ポップ、ロック、演歌、ワールドミュージック・・・・・・・・・・これまでに様々な音楽とで合った。そして、それは私の人生を豊かにしてくれるものなのだ。そんな音楽漬けの毎日でも、未だにふとビートルズを聞きたくなるときがある。それだけでは無くギターを持って歌ってもいる。何故だろう。もう、50年も経っているのに未だにビートルズを聴きたくなる。ローリングストーンズでもいい、レッドツエッペリンでもいい、クイーンでもいいあの時代のものがなつかしく、なんでも聴きたくなる。だけど、やはり多くはビートルズの曲だ。
それは血気盛んな15歳から18歳までに夢中になった音楽が影響しているからだろうと私は考える。青春時代に聴いた音楽、曲。誰もがそれを持っているはずだ。何故なら、その音楽を聴くとその頃の、苦い思い出、切ない思いでが蘇る。年をとってもその曲を聴くと、その時のことが蘇るきっかけになるからだろう。
五つ離れた私の従姉妹は私をうらやましいなと言った。「俺なんか最初に夢中になったのがモンキーズだぜ。」なるほど、だれもが青春の音楽がビートルズであるわけではない。たまたま私たちはその時代でビートルズに出会った。
話を戻そう。
最初に夢中になったグループが、ビートルズであった事は本当に良かった。と大きな声で言おう。何故ならビートルズはあの時代の若者であった私達の人生に多大な影響を及ぼしたからだ。それを私は”8 days a week”を見て、再び思い起こしてくれたわけだ。
ビートルズがすごかったのは、私たちにむけたメッセージが 『あなたが何かを感じ、思うこと、したいことがあるなら、それは あなた自身であり、好きな格好をして、好きなように生きて良いんだよ。』と言うことだ。それは長い髪、大人に物怖じしない話し方、なにしろ彼らはかっこよかった。映画の中でウーピーゴールドバーグが同じ事を感じ、同じことに感動していた。あの時代誰もがビートルズファンになって良かったのだ。そんなの当たり前だと言ってはいけない、あの時代、アメリカでは白人優位で、明らかに多色人種に対して差別があった。そのアメリカで、ビートルズは白人と個人が別のトイレに行かされていた南部の地でコンサートを開き、観客に差別は無く、黒人も白人も一緒になってビートルズに熱狂した。ウーピーは差別の無い世界、それを彼女はコンサート会場で肌で感じ取ったのだ。音楽が世界を変えることを感じとったのだ。それは漠然とビートルズはすごいと言っていた日本の私とは大きな感動の違いがあっただろう。それはしかたが無いが、今回そのドキュメント映画を見て、私はビートルズの存在が、世界の若者の意識をを革命的変えたことを再認識させられた。
老人になった今でも、ビートルズの音楽を聴くと、私は18歳の時に航空高専を中退した頃事を思い出す。毎日の授業が理解できず、自分はみんなより劣っていると思い、なにをこれからすれば良いのか分からなかった自分。それでも、ビートルズのメッセージは漠然とした希望と不安といらだちから、私を解放させた。そして、私は航空高専を中退した。私に行動を起こさせたエネルギーの一つが、今考えるとビートルズだろう。ほんとビートルズで良かった。

 

 

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この世界は、Walking Deadだ。

Category : 未分類 10月 31st, 2018

アメリカのTvドラマはいろいろあるが、最近、Waliking Deadを見始めてしまった。これがいけない、なんとシーズン9まで続いている大河ドラマだった。
いわゆるゾンビ映画で、ジョージAロメロの Night of the living day から始まった、ゾンビにかまれたらゾンビになり頭を打ち抜かないと死なないというホラー映画だろう。と、たかがくくっていたが、これがすさまじく神経をさかなでて、それでいて問題意識が高い傑作ドラマだった。親子の愛、人間の愛、友達、教育 善と悪、・・・・・究極のサバイラルゲームの中でその問題を自分に問われるのだ。
もう、見るのを止めようと思っても『その後どうなったんだろう?』と気になって、どうしてもまた見てしまう。麻薬みたいなドラマだった。

そのすさまじいドラマの中ですごく考えさせられたのは、シーズン4で、総督と呼ばれるアジテーターが一度は王国を壊され無力化するが、復活して刑務所にいる主人公のグループと人間同士で戦いが始まるストーリーである。その話のクライマックスでは、戦車を手に入れた総督と刑務所を守る主人公が銃を向け合って、対話をする。総督は主人公グループの博愛を持つ老人と侍スピリットを持つ黒人女性の二人を人質に取っているので、刑務所を出て行かないと二人を殺すと脅す。主人公は『なあ、こんなことはやめよう。一緒にこの安全な建物で暮らそう。殺し合っても破壊が残るだけだ。』と平和を提案する。しかし、しかしだ。『そんなのは嘘だ。』とつぶやき、総督は侍からうばった日本刀で、老人の首を切り落とす。その後、救いようのない人間同士の戦争が始まるのだ。

もう、分かるだろう。これは今の世界に警告しているのだ。一度はヒトラーやムッソリーニ、スターリン、そして日本の軍港主義などによって、人類は殺し合い世界を破壊した。そして今やそれが新しい総督によって復活し始めている。アメリカの大統領トランプはプーチンは嘘つきだと罵り、核兵器の縮小を止めた。プーチンは撃墜されない究極の核兵器を作った。中国は己の国を強くするためにどんどんお金を使って軍を大きくしている。WalkingDeadとおなじだ。銃を向け合って、『戦争はやめよう。仲良くしよう。』と対話しているのだ。
なんだこれは、誰かが一発ミサイルの発射ボタンを押したとき、人類は滅亡する一触即発の状況は、このドラマのストーリと同じじゃないか。
この物語では、総督が博愛に満ちた老人の首を切ったとき、戦争が始まる。こんなに人間の愚かさを表現しているシチュエーションはどうしようも無く無力感を持つ。
最近、ブラジルではトランプと同じ考えを持った奴が大統領に選ばれた。みんな自分の命を守るためにどうしようも無い破滅に導くリーダーを選んでいる。そして人類は自ら作った世界が破滅する兵器で戦争へと向かう。ドラマの主人公が息子につぶやく、『忘れていた。ウォカーより恐ろしいのは人間だった。』と。
そして、WalkingDeadと同じように『こんなくそったれな世の中壊れてしまえ!』と思うゾンビのウイルスがどんどん人に感染して世の中をうめつくし始めている。

ジャレドダイアモンドはすごい

Category : 未分類 4月 4th, 2018

ジャレドダイアモンドはロサンゼルス、カリフォルニア大学の教授で地理学者だ。彼の知識力はすごい、まさに知の巨人だ。『銃、病原菌、鉄』ではピューリッツァー賞をとった。私も読んでみた。しかし、読み取るのが大変で、出来事があまりにも細かくて,全体像がとらえられずにいた。彼の考えを理解するのに挫折しそうになった。それでも、最近になってNHkの番組でダイアモンドが学生に『人は何か』について彼が講義する番組を見る事が出来た。分かりやすく、面白かった。『銃、病原菌、鉄』では地理的条件が以下に人間の進化に大きく影響したと言うことが、「へぇ~!」と声を出すおもしろさがあった。しかし、それで人類はこれからどうすれば良いんだ。と疑問があった。それをこの番組で解りやすく説明してくれたのだ。

20世紀を生きてきた私たちの時代、人類史上、文明的に大きな発展をを遂げている。現在、人はいろいろな情報を得ることが出来、過去に無い多くの自由を得ることが出来るようなった。科学は大きな躍進をして豊かさを生み、自然をも変革できるようになった。医学も発達し人間の寿命も延びた。人類は大きく進化したと言って良いかもしれない。しかし、その発展により文明が崩壊する問題を21世紀に残したのだ。
宗教の違いで未だに虐殺があり、国は領土を広げるために争いを起こし、兵器開発に勤しみ核爆弾で相手を威嚇する。医学はDNAを操作できるようになったと同時に新種のウイルスをも作ろうとしている。コンピュータを造り私たちは大きく生活が変わったと同時にそれ自身の暴走による危機を迎えている。豊かな人類の富も半分はたった5人の人達が所有しているのだ。
考えるだけで、先行きが怪しくなり、不安を覚える。こんな問題を抱えている地球で、私が何が出来る。どう生きたら良いのだ。みんなそう思っているだろう。ジャレドダイアモンドはその答えを示唆した。そこがすごい!!彼は示唆したのだ。答を言ったのでは無い。多くの知識人は答を示す。または答をほのめかす。彼は違った。答を知っているが、あなたたちが自信が考えて行動することを示したのだ。
詳しい話をすると長くなるので、私が感銘した部分を話すと
彼が言うにはそもそも人間とチンパンジーの何所が違うのだ。と、問う。人間はチンパンジーとおなじでかなり動物的である。だから、虐殺と戦争は無くならない。そしてもう一つ、人類は文明の発達と地理的な条件が大きく関わっていることを解明した。つまり、人間は地理的条件で淘汰されてきた「言葉と文字と道具」を操る変わった猿であって、危うい動物なのだ。だから、未だ発展途上であって崩壊する危機もあり、進化する機会もある。と、わたしなりに解釈した。 だから、現在を嘆くことも無いし、諦めることも無い、地球と言う星でもごもご動いて生きていくのだ。それが、生命の本質なのだ。沼で生きているアメーバーとたいした変わりは無く、生きることに一生懸命で、人類が獲得した文明を力にして繁殖していくのだ。
どうも変な文章のまとめになったが、彼の考えをわたしが代弁しても上手くいかないので、若い人は彼の考え方を知って欲しいと思う。本も読んで欲しい。でも、難しいからビデオが言い分かりやすく彼が話してくれる。
私は息子達を含め若い人達が、将来の夢を失い無気力になって欲しくないし、がむしゃらに働いて身体を壊して欲しくない。人を巧みな言葉で先導するえせ政治家に投票して欲しくないし、熱狂的な思想に洗脳されて欲しくない。ただ単に伴侶を見つけ家庭を持ち子ども一人前に育て長生きして欲しいだけだ。これが人類が目的であり、文明は人類が獲得した力なのだ。
なんだよ人類が何千年も続けてることじゃないか。と言うだろう。それが簡単そうで簡単では無い。人間が繁殖することは、獲得した力である文明を維持することでこれが可能であって、その文明が崩壊する危機を持っているのだ。だから何も考えないで繁殖しつづけていると人類は終わってしまう。この文明を維持するにはどうしたらよいか考えながら繁殖を続けるのだ。これが、ジャレドダイアモンドの考えで、わたしの願いだ。

 

 

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私たち団塊の世代はアメリカのTV番組で育った。

Category : 未分類 1月 6th, 2018

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前回、私が子どもの時にトワイライトゾーンを見て、SF好きになった事を書いたが、今回は私たちが文化的に特殊な世代である事を述べたいと思う。それは20世紀から21世紀の変化を体験できた世代であるともいえるのだ。

歴史を見ると国が大きく変動する変革の時代が必ずある。人間の文化や歴史は徐々に変化するでは無く、階段状に進んでいく、日本もそうである。特に近代史で語られるのは江戸時代から明治時代に変わる変動は大きかった。そして、太平洋戦争を経て戦後変動もそれに違わず、日本は大きく変わった。私たちはその変動を体験した世代であるといえる。少し言いすぎかも知れないが、その時代を子どもとして育った私はそう子どもながらも感じとった。

日本の歴史を見て、政治的に色々な変革があった。しかし、よくよく見ると庶民の生活は戦国時代も明治時代もさほど変わってはいない。大まかに見ると縄文時代から戦前まで庶民の生活はそんなに変わっていないと言えるだろう。それは多くのことが人の手で行われたままだからだ。家は紙と木と土で作られ、洗濯、炊事、人々の生活に関わるものは結局は人の手で行われていた。江戸時代が終わり文明開化の明治時代が来ても、電気ガスのある都会だけが利用していただけで、多くの庶民の生活はほとんど人の手で行われたいた。その証拠に、私が子どもの頃、まだ洗濯はたらいと洗濯板で衣類を洗っていた。火は七輪で起こして、お米をお釜で炊いていた。毎日の掃除はほうきで掃きぞうきんで畳を拭いた。便所はくみ取り式で、はえがたからないように食べ物には網をかけていた。夏の夜は茅を張り、蚊に刺されないようにして、暑ぃ夜は母親が団扇で扇いでもらって寝た。冬の暖房は火鉢で家を温め、夜は湯たんぽにお湯を入れ布団の中に入れた。もちろん戦前にもガス、水道、電気、自動車はあった。しかし、戦後は破壊によりインフラ整備は遅れていた。、多くの庶民に与えられる物では無かった。私の子ども時代は江戸時代の子どもの生活とそんなに変わらないことだった。
しかし、私が10歳頃に日本は大きく変わった。
私が産まれてから15年で生活は一気に変わったのだ。ガスが引かれ,下水が完備し水洗トイレになり,掃除機、冷蔵庫、扇風機、・・・・・生活はより清潔で便利になっていった。娯楽もラジオからテレビになった。子どもの目にも生活が便利になった事が分かった。
そして、TV放送が始まり、みんな新しいメディアにかぶりつきなった。テレビ局は毎日の番組作りが間に合わず、民放はアメリカのテレビ番組を流し始めたわけだ。おとなしい日本番組よりアメリカの大人向け番組を子どもも大人も一緒に見ていた。だから、ポパイもヘッケルジャッケルも毒の効いたアメリカンジョーク満載で、ベティディープなんかはガーターベルトを見せていたお色気たっぷりのアニメだった。それは子ども向けでは無く刺激の強いそして迫力ある大人のユーモアだった。バックスバニーはまさに大人のアニメでありロードランナーを追いかけるコヨーテは可哀想なくらい失敗を繰り返し、おかしくて堪らない繰り返しに最高の笑いを得たように子どもながらもわかり一人で何度も見た。何故なら、アメリカの番組はおそらく高いお金を払っていたのだろう、元を取るために同じアニメを何回も流していたからだ。そして、もう一つ私の心に残っているのは金曜日の10時後に流れる戦争のドキュメンタリーフィルムであった。なにしろ、その頃は大人は猛烈に働いていたから昼間は子どもはテレビを見放題だった。
そのドキュメンタリー番組は戦争中にとられた画像を余すところなく流した。そのフィルムには人間の残酷さを余すところ写っていた。今なら考えられないことだが、そのフィルムをなんのぼかしも無く画面に現れた。硫黄島波打ち際に浮かぶ死体。アウシュビッツで死体をブルトーザーで処理される様子。原爆を落とされた後の広島の惨劇・・・・・。日本兵が中国人を生きたまま埋めていくフィルムも見た。それは生き埋めにされる人のアップまで撮っていた。戦争の残酷さと恐怖を私は感じた。しかも怖いもの見たさに私はその番組に熱中した。その頃、テレビ番組は子ども向けの精査が無く垂れ流し状態だったのだ。それが良かったのか悪かったのか未だに分からないが、私の子ども時代は缶蹴りやたこあげやベーゴマで遊んでいた時期に、同時に視覚的刺激も娯楽として与えられるようになった。
 もう一度言うが、良いか悪いか分からないが、私たちは日本の文化の歴史上、初めて動画として私たちにフィルター無しの情報を絶え間なく与えられた子どもたちなのだ。その事は私たちが大人になってなんらかの影響を及ぼしたはずだ。
余談だがその後、結婚して家庭を持ち子ども二人とテレビを一緒にテレビを見るようになった。子どもがテレビを見る時間には宇宙刑事シャイダーや、ドラゴンボール、朝はお母さんと一緒・・・・・。その時に12チャンネルでポパイやバックスバニーをやっているのを知り、懐かしいから見ようと思ったらなんと毒の抜けたアニメで大人にはちっとも面白くないものなっていた。でもそれで良いのだろう私たちの時代がおかしかったのだ。

恐らく団塊の世代は同じような環境で育ち。それが、人生に何らかの影響を与えたと私は思う。子どもには刺激的すぎた。が、それはフィルターのかからない本物であり、熱意や憎悪、恐れや憧れ、私たちの情緒に何らしかのゆがんだエネルギーを与えたように思う。つまり、私たちは早く大人にされたのだ。その影響は大である。早く大人にされた私たちは青春を熱く語り、エネルギッシュだった。学生運動もその結果だろうと私は推測する
私たち団塊の世代は不便さを知っている。私たちは戦争を知らない世代の始まりかも知れないが、子どもの時に戦争の恐ろしさテレビでをちゃんと教えられた。小さいときから本物はどんなものか学び取った気がする。
 現代、インターネットで検索すれば、私たち以上に画像の情報にあふれている。子どもたちは隠れて、こっそり見ているだろう。じゃあ私たちと同じでは無いかと思うけど、違う。それは嘘と本物が同時にメディアとして流れているからだ。不便さを知らない人は知っている人より便利さの価値が違う。スポーツで負傷し足にギブスをはめている人を見るのと電車の中で足の無い傷痍軍人を見るのとは違う。CGで作られた本物らしく人が殺される画像を見ることと事実を映した画像は捉え方が違う。芸人がどつかれる所を見て笑うのとコヨーテがロードランナーにやっつけられるとこを見るの笑うのとは違う。上手く言えないが、戦後の混乱期に産まれた私たちは忙しかった大人にほったらかしにされていた。しかし、良いか悪いかは分からないが、危険と自由が一緒にありその中でたくましさを求められたような気がする。

Blade Runner 2049は悲しい未来を暗示した映画だった。

Category : 未分類 12月 30th, 2017

Image                   Reasons Why You Need To Go See ‘Blade Runner 2049′ On The Big …  Forbes2700×1350画像で検索    Credit: Warner Bros

最初にBlade Runnerを映画館で見たのは大学生の時だった。SFの好きな私にとって、2001 a Space Odysseyを見て衝撃を受けて以来、2回目に衝撃を受けた映画だった。近未来という言葉もそれから使われるようになった。
ここで自慢話が始まるが、50年前、私は高校生だったわけだが、その時代に友達とSFの同人誌を作っていた大のSFファンだ。幼いときから、トワイライトゾーンを見て育った子どもである。コナンドイル、アーサーCクラーク、スタニスラム・レム、星新一、筒井康隆、小松左京、ひたすらSF小説も読んだ。映画では「禁断の惑星」「ボディスナッチャー」を映画好きの父と一緒に見たのを覚えている。しかし、映画のSFは面白いけど嘘っぽく芝居がかっていた。だから、17歳の時に見た「2001 a space odyssey」は衝撃的であり、あのリアリティさに打ちのめされ、以来、近未来もののSF映画が大好きになった。でもその後の、「スターウォーズ」、「スタートレック」を見てもSFだとは思わなかった。あれは宇宙を舞台にしたファンタージーであり、「ロードオブザリング」と同じである。詳しく分析するとスペースオペラと言うんだけど、SF映画では無い。SF映画はは科学的事実に基づいて描かれることこそSF映画だ。ファンタジーはscience fictionでは無い。「Blade Runner]を見たときは2001 a space odysseyと同じ感動を覚えたのだ。そうして「Blade Runner 2049」は私の期待に応えてくれた。

 一作目の「Blade Runner」のテーマは、人間の奴隷として生まれたレプリカント、それは人間に「命と何か?」を訴えた。「自分は何のために産まれてきたのか?」この命題をレプリカントは考える。「お前ら人間は考えないのか?」レプリカントは人間にそう叫ぶ。その時代、『地球温暖化』は一般的な言葉では無く地球の危機を感じている人達は一部の人達だった。監督のリドリースコットはいち早くそれを映像で見せた。酸性雨の降りしきる大都会、エネルギーを無駄に消失し、炎を上げる煙突、それでも生きる人達、中国人と思われる人達が自転車で走り回り、デッカー警部はうどんを食べる。SFを愛する私にとって、もう堪らない映画だった。CGの無い時代の2001スペースオデェッセイもすごかったが、CGの先駆けでもあるBlade Runnerもすごかった。
そして、嬉しいことにその続編がその後を引き継いでいた。
 2049は一作目とテーマが同じである事はもちろん嬉しかったが、それに加えて映像と音も一作目を引き継いでいたことだ。そして、一作目以上にCGのリアリティはとても素晴らしく、一作目を超えていたので嬉しかった。これは新しいBlade Runnerではなくて、一作目の感動をそのまま私の心によみがえらせた続編だったのだ。
 その中でも最初に私の心に残ったのは、レプリカントの男とAIの女の愛のやりとりだった。生殖機能の無いレプリカントの男、AIが作る実態の無いホログラムの女、それでも二人はお互い心を通わせ逢い恋をしている。なんとも悲しい、報われない、そして切ない、でも二人はお互いを必要としている(それともプログラムされた疑似恋愛とも思わせる演出)まさに近未来を予言させるエピソードだ。

余談だが、もし、私はAIとの恋愛が可能な未来に生きていたら、(この可愛い女優はキューバの人でアナ・デ・アルマスという女性なのだが、)ホログラムでも、絶対的な愛で自分を愛してくれるAIの女性を愛しちゃうだろうな。だって、自分好みの女性をプログラムして、自分を絶対の愛で包んでくれて、自分好みのスタイルとルックスを持っているとしたら、条件が整っているわけだから、心を奪われてしまうだろう。それに、自分がどんな人間であっても女性に嫌われるような男でも、私のように老人になっても、若い理想の女性が私を愛してくれるのだ。心を奪われるのが当たり前では無いか。
 しかし、でも、私はそこで考える「それで良いのだろうか?」自分を好きになるようにプログラムされたAIだ、所詮、疑似だ。ほんものでは無いんじゃ無いか?飽きたらプログラム変えたり、新しいプログラムに書き換えたり、仕舞いにはリセットも可能なのだ。そんなAIにいつまでも愛せることができるのだろうか?
 映画ではその男と女の愛を描く。しかし、最後にはレプリカントが愛したAIの彼女が消去される。そのときに手を差し伸べてAIの彼女は「I Love you」と言うのだ。そして、消えるのだ。死ぬのでは無い、消えるのだ。なんとも悲しい最後だ。目の前で自分の愛した人が撃ち殺されるのも悲しいが、AIのメモリーが消去されるのも悲しかった。悪役の女レプリカントが「自社の製品を楽しんでいただけたかしら。」と言ってメモリーを壊すところがなんとも言えず怒り以上に皮肉がまじり、悲しい。
 2049の映画のラストシーンは、主人公のレプリカントが使命を終えて階段に横たわり力尽きる。血を流して死んでいく・・・・・人間とは違った、悲しい死である。脚本を書いたリドリースコットはレプリカントを美しく描くのだ。(なのにエイリアンコベナントを見たけどあれはただのモンスターパニック映画に終わったしまった。)この美しくも悲しいSF映画はあまりヒットしないで終わった。残念である。でも、2001 a space odysseyが最初はヒットしなかったように、この映画も隠れた名作になるであろうと、私は思っている。
 

豊かな国ってどんな国だろう。(フランスに行ってみて。)

Category : 未分類 12月 2nd, 2017

今年一年を振り返る時期になった。今回は8月にフランス旅行をした事が一番の大イベントだろう。(その他に不幸が無かったのが一番だけど。)昔からの憧れのモンサンミッシェルをスケッチして、それから起こした油絵もようやっと完成に近づいてきて一段落して、段々とあの時の印象が薄れてきたことも確かだ。ここで忘れないようにあの旅行のまとめである事も書き留めておこう。

フランスに着き、バスに乗り高速から平原を眺めてるとまず感じたことは『豊かな国だな。』と言うことだ。東北新幹線から日本の豊に実った水田を見てもそれは思わなかったが、フランスではまずそれを感じた。何故だろう?理由を後から考えると、地形的にフランスは山が低く平原が広く、雨も比較的少なく、低い山と広い平原と温暖な気候は、豊かな実りを与え、食料の自給率が130%だそうだ。と言うことは、食料の自給率が高く輸入に頼る日本と大きく違っていた。自分たちの分以上に食料を生産し、輸出している国なのだ。

ネットで調べた農林水産省のデーターをグラフを見てみよう。

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資料:農林水産省「食料需給表」等 2016年調べ

日本の食料自給率の低さは見ての通りで、先進国では最下位だ。しかも年々自給率が低下している。それは、食が米から小麦粉に変わりつつあるので、小麦粉を輸入し、唯一輸入に頼らない米の生産が低下しているからだそうだ。フランスの農村と日本のと比べて感じたことは、この事だったのかも知れない。日本の輸出品の1位が自動車、2位半導体、3位自動車部品、4位鉄鋼で、世界の輸出額を比べると中国、アメリカ、ドイツが断トツで少し落ちて4位が日本だ。5位がフランス(2010年調べ)だ。

私が簡単に解釈してみて言うと、『日本は自動車を売って、食料を買ってる国』と言えるだろう。逆はフランスだ。そこで、思うことは豊かな国はどちらだろう。豊かさの定義によって人は違うが、私は『便利機械を売って食料を買う国』と『食料を売って便利機械を買う国』を比べたら、後者だと思うのだ。前者はなんか露天でペンダントを売ってその日暮らしをしている人を想像して、危うさを感じる。
私はフランスの農村地帯を見て私は生活の余裕を感じた。畑の広さ、家の大きさ造り、色、庭や玄関に飾られた花、余裕の生活の表れだ。日本は決して貧しい国では無いが、私が思うに豊かな国では無い。渋谷や新宿、丸の内、お台場、都会の生活がスマートだとしても豊かさは感じない。それより、高齢化、過疎化していく地方を考えると日本は本当に豊かな国だろうか?と思わざるを得ない。もし、世界規模の事件や災害があったとき、崩壊しないで頑張れる国はどんな国だろう。私は農業が国の基本にあり食糧や資源を輸入に頼らない国だと思う。今回フランス旅行をして、どうしても日本と比べてざるを得なかった。(スイスやイタリアには感じなかったものがフランスでは感じられた事だ)

今の『日本の豊かさは危うい』。砂上の楼閣とは言い過ぎだが、輸入が途絶えたとき、日本は自分たちでやっていけるのだろうか?資源も平地も少ない日本では仕方が無い事なのだろうか・・・・・

 

余談だが、今回の旅行でモンマルトルの丘に行ったとき移民の人達とその生活を垣間見た。同じパリでもブローニュの森の近くにも行ってみた。大きく違っていた。今、フランスが移民問題を抱え,右翼政権が力を得てきた状況が少し分かった。