私が大学生の時、大学の専攻が舞台芸術で、8ミリフィルムの映写機を回して映画を撮っていた時期がある。何故舞台芸術かというと学芸大学の美術部学部には映画科が無かったからだ。先日、古い8ミリフィルムをデジタル化できるマシンを貸し出ししていることを知って、三日かけて8ミリのアナログ画像をデジタル化した。
その中におふざけで撮った、青春映画があり、それを久しぶりに見ることになった。映画に出演している人達が懐かしくよみがえり、あれから40年過ぎたことを実感した。しかし、本当は私はその映画あまり見たくは無かった。どうしてかというと、その映画見ると三つの恥ずかしい思いがよみがえるからだ。
その一つは
懐かしい出演者の中に、後に新しい「ゴジラ」や「デスノート」の映画監督になった金子修介君がいる。その当時、学芸大学に映研があり、そこにはあの押井守君と金子君がいたわけだ。あの時はそんな実力のある人だとは知らなかったから、金子君が作った映画を見て感動して、おれもできると思ったのだ。それで何をしたかというと、なんと私は金子君のアイディアをパクってその映画を作ってしまったのだ。その上で金子君に出演してもらい、そのできた映画を見せてしまった。恥ずかしい。だから、私の作った青春映画を見る度に、人のまねをしかできなかった大学生の自分が思い出されてしまうのだ。
もう一つ
その出演者に私の映画制作を面白がって参加してくれた人が二人いた。国分寺で「赤城」という割烹料理店で板前をしていた小林さんとパブで働いていたフウちゃんだ。(今はどうしているのだろう。)
映画を作っているときのある日、(当時、私は大学の前の安アパートに住んでいた。)それも朝の5時に窓に石を投げる人がいた。それがその二人だった。寝ていた私を起こして「話がある。」というのだ。私は眠い目をこすりながら二人を部屋に上げて、話を聞いた。
すると「安斉さんは俺たちのことどう思っているのだ。」険悪なムードで私に迫った来た。40年も前で詳しくは覚えていないが、話の内容はどうも<<パブのホステスだった『フウちゃんは水商売の人だから、簡単に俺の映画に出演してくれるよ。』と、二人を見下した気持ちで出演を依頼した>>とそう友達に私が話したそうだ。その友達がその私の話を二人に教えてくれたと言うのだ。(なんでそんな事、二人に言ったんだよ!)「安斉さんは俺たちをそんな風に思っているのか。」とその時に怒りながら問いただしてきたのだ。そう言われても言った覚えが無いし、友達がどういう風に二人に言ったかも分からないし、彼らがそれで傷ついたと言われて、謝るのもおかしいじゃないか。
それでどうしたかというと、私は彼らに逆ギレした。何故なら、彼らはその友達の言った事を聞いてから、『安斉さんがそんなこと言うのかな?』と普通に疑問をもって確かめに来たなら分かるが、しかし、彼らはそうでは無かった。友達の話を鵜呑みにして、安斉さんならそう言う人だろうと思って、腹を立てて朝私の所へ来たのだ。事実、私はそんなことを思ったことも無いし、その友達にそんなことを言った覚えが無い。(今となっては良く思い出せないが)ただ、もし反省するなら「フウちゃんなら、出演してくれる。」と軽い気持ちで出演を依頼したことはたしかだ。それは、二人と酒を飲んでいたときに、映画の話をしたし、彼らは私たちが大学生で映画を撮っている変わった奴らで、そんな私たちの映画に興味があったから、私はその好奇心を利用して映画に誘ったことは確かだ。反省するならこの事がきっと私の態度に現れていたのかも知れない。しかし、私は『私たち大学生はエリートで偉くて、で彼らが水商売をしている下位の人だ』なんて微塵にも思ってない。私が彼らに声をかけたのは<同年代の環境の違う生活をしているもの同士>の好奇心に過ぎない。しかし、フウちゃんは私が水商売の女だと見下したと思ったわけだ。(言った覚えは無いけれど・・・・・)
その事は40年も前のことだから、言ったか言わなかったかははっきりと思い出せない。その友達も「お前が言ったんだ。」というのだろう。しかし、言ったとしても、何故その友達はその事をフウちゃん伝えたのだろう?思わす、口を滑らしたかも知れないが、その事で私は悪者になった。友達は私を悪者にするために言ったのか?
で、私は彼らに「おれがそんなことを言うわけ無いだろう。」と逆ギレして「フウちゃんはその友達の言葉信じて俺の言葉は信じないんだね。」と言い返した。だって、私は彼らを友達と思っていたし、今までだってみんなでわいわい飲んだり、みんなでドライブしたり遊んだ。その時に、私がそんな失礼な態度や言動があっただろうか。無い、私は彼らの生活や考え方に好奇心があって、よく質問したし、私の知らない世界の話は面白く、酒を飲みながら話を聞くのが楽しかった。だから、その気持ちを二人に伝え、納得してもらった。(と思う。)
あの当時、私は人生を生きる哲学があった。それは私が高専を中退して、大学に入り直すために浪人を4年間もやった、その時に、身につけたものだ。4年間の浪人生活はつらく長かった。それで、技術者から教育者に方向転換して、ようやっと学芸大学に入れた。その時の哲学は、『人生は一本のロープの上を歩いているようなあやふやなもの。』ということだ。人は社会の中で、いつ何時ロープを踏み外して落ちるかも分からないで生きている。『人生には確実な生き方など無い。』権力者だろうが貧乏人だろうが、水商売だろうが将来を夢見た大学生だろうが、イケメンだろうが醜男だろうが、いい大学に入れたのか入れなかったか、成功者か敗者か、天才か凡人か・・・・・そんな価値観で振り回され、悩んでいても確実な生き方を模索していても、ロープから落ちればそれでお仕舞い。それは大きな失敗かも知れない。大きな事故かも知れない。病気かも知れない。突然の死かもしれない。だから、ロープの上では渡ることに嫉視で、そんな価値観は関係ないはずだ。ロープが大きく揺らいだ時なんとかバランスをとる方法を考え、切り抜けるようとする。でも、またいつかロープは何か事があれば大きく揺らぐ。人生には安定したロープは無いのだ。だから、問題はそのロープ渡りでビクビクして生きるのか、慎重になるのか、ロープの上にいることを忘れて歩くのか、ロープを太くするように努力するのか、バランスをとる訓練をするのか、バランス棒を探すのか・・・・・みんなロープを上手に渡ることに努力する。・・・・・大事なことは、自分はその人生というロープの上でどのような気持ちで生きるか考え、決定し、いつかなんかでロープから落ちても、そこまでよく頑張ってきたなと思える自分であることだ。その事を浪人時代を切り抜けて大学生になった時、私は実感して悟った。だから色々な人が色々な生き方を決め、職業につきロープを上手に渡ろうとしている、小林さんもフウちゃんもそうだ。どうして私が職業の違いでその人をを見下さなければならないのだ。
しかしながら、私はこの40年前に撮った8mm映画を見て、その事件を思いだして恥ずかしく思う。何故なら、(あれから私は40年も経って、)8mmの映画を見終わって、ふとこんなことを考えた。それは、工画堂の重役になった、城石英幸君。障害者支援のパン屋さんを開いた杉田輝彦君。今も福祉に力を入れている大野正浩君。映画監督になった、金子修介君。芸大に入り直してから電通に行って自動車の画像のでないベンツCMを作った、村田一美君。青のグラデーションをテーマにして版画を作っている笠井正博君。・・・・・私はみんなを、彼らの仕事ぶりをすごい。と思い、自分は何を残したのだろうかと、自問したのだ。
ロープ渡りの哲学で、ロープを渡るときの思いが大事なんだ。といっているのに、なんだかんだ言ったって、私は8mm映画に出演してくれた人達の生き方を私と比べているのだ。それは、結局、観客になって、ロープの上を渡っている人を比べている自分がいると言うことだ。ロープ渡りの哲学はなんだったのだろう。恥ずかしい、自分はもうロープを渡っている人間とは思わず、ロープを未だ頑張って渡っている人達を客観している自分がいたと言うことだ。自分より、力がある人を見て、才能がある人を見て、カネがある人を見て、社会的地位を見てうらやましいと思う自分がいたと言うことだ。そして、その価値観で人生に上下をつけ、自分がどの位置にいるのだろうと比べている。それは私の人生は終わってロープから降りたと思っている事だ。あ~あ、私は、40年前の私より弱い人間じゃないか。ロープを渡っているときのその自分の気持ちが大事なのに、もうロープから下りたと自分は決めつけた。そんな自分がいることが恥ずかしい。これではフウちゃんや小林さんに申し訳ない。もし今、また二人に会ったら「安斉さんはやっぱりそういう人だ。」と言うのだろう。今、あの二人はどんな人になってどんな生活をしているだろうか?
もう一つ恥ずかしく思い出されること
あの当時、映画が好きで自分はそれに関われる職業につけたらいいな。と言う気持ちと、先生になって公務員として波風のたた無い人生を過ごしていこうか、と言う気持ちが葛藤していた。よくテレビドラマの中で、「自分の納得する人生を生きたら良い。」と賢者が言うのだが、私は言いたい。「どれが良いか分からないから納得できないんだよ。」と。結果、私は公務員を選んだ。(それについてはまだエピソードがあるのだがまたいつか)
で、)なんかそんな自分が嫌で、何かに挑戦する自分の気持ちから逃げたように思われ、落ち込んでいた。そんなとき、学芸大の学園祭があり、(その時にその青春映画の上映会をしたのだ。)その打ち上げでやけ酒を飲んていて(その前に失恋もあったが)かなり酔っ払っていた。良く思い出せないんだけど、どうも私は「死ぬ、死ぬ、死んでやる。」的なオーラを出してわめいていたらしい。そして、私が急にいなくなったらしい。そこの所はあまり覚えていないが、その後、国分寺の町をふらふら歩いてい、気がつくと私の部屋で一人酒を飲んで沈んでいた。その時に、D類の工芸をやっている三田村君が私の部屋に来てガッとドアをあけたのだ。そして、私がいることを確かめて安心した顔を見せて、何も言わず、消えた。後から話を聞くと三田村君は高校生の時に友達が自殺したのだそうだ。それで、私の様子を見ていて、もしかしたら<安斉は自殺するのかも知れない。>と思って私を探しに部屋に来たのだそうだ。恥ずかしい、三田村君は私が部屋にいるのを確かめて安心していた。それだけでは無くその目には「なんだ口先だけか」という安堵もあった。映画を見るたびにその三田村君の顔を思い出すのだ。恥ずかしい。
この間、普段忘れている学生時代の出来事が、8ミリ映画を何度も見る度に思い出された。そして、良いことののか悪いことなのか分からないが、今度その映画の上映会を40年ぶりにやろうと思っている。
“Don’t pass me by” 映画のラスト
この熊本で起きた事件を知って、とても考えさせられた。何故なら、今、私は36歳の息子と同居に近い生活をしているからだ。
何故、この事件が起きたのか?私は詳しく知りたくて情報を集めてみた。大まかには、68歳の父親と同居している37歳の息子が夜9時頃二人で酒を飲んでいた。しかし、(恐らく父親が息子を戒めたのだろう。)口論になり、カッとした息子が台所の包丁を持ちだし父親を刺した。息子は逮捕後「いらいらして刺した。殺すつもりはなかった」と供述しているという。私が一番知りたかったのは口論の内容だったが、そこまで取り上げているニュースは残念ながら無かった。
親子とは何か?思うに、人は子どもが産まれて親になる。産まれてきた赤ん坊を抱き、自分たちの子だと自覚し、愛おしく思う、それはどんな親にも最初に始まるエモーションだ。(例外もあるが、ここではそこには触れない。)子どもは小さく、か弱く、一人では生きていけない、そこで自分に絶対的な愛を持つ親を愛し、頼る。そして、親は自分を頼ってくる幼い子どもをさらに愛おしいと思い育てる。この相互の愛情関係でで子どもは成長していく。それは自然の姿だと人は思っている。それなのにどうして、そんな親子関係において子どもが親を殺してしまう状況が生まれるのだろう。
まず最初に、動物の親子関係を考えてみよう。北海道の小熊が成長する動画が良くメディアに流れているのを目にするが、そこにはとてもわかりやすい親子関係を見ることが出来る。私たちはかわいい小熊を育てるお母さん熊の献身的な姿や、多くの苦難を乗り越えていく子どもの成長する姿を見て共感を呼び感動をする。そして、郷愁を呼ぶのは親ばなれのシーンだ。小熊が大きくなった時、本能的に親は子を追い出し子離れをする。子どもは訳もなく置いてかれ唖然としながらも、仕方なく親離れをする。そして、ひとりぼっちになった子どもはたくましく生きようとしながら自然と親の存在を忘れ、親も子どもの存在を忘れどこかでまた生きていく。動物に備わっている本能が親子関係を作っているのだ。
社会生活をする猿はどうだろう?彼らも、子どもが大きくなれば(一緒の群れには居るけど)親は育てる必要が無くなった事を本能的知っていて、子どもに興味を失い。子どもは親から自主的に離れ、大人の猿一匹として群れの中で生きていく。熊と共通するのは、本能的に親が子どもを疎ましく思い、そして子どもを追い出すのだ。親から子どもとの親子関係が打ち切っているのだ。そしてそれは成長した子どもとって必要な過程であり、独立した子どもは新しい生活をすることによって、伴侶を見つけ子どもを産みその子どもに愛情を注ぐ、それは一般的な動物が種を存続させるためのシステムだ。
もし、人間が動物の本能で親子関係を支配していたら、熊本の事件は起きることは無かったのでは無いのか。
ところが人間はそうはいかない。残念ながら動物と違って単純では無い。
人間の親は熊と違って、簡単に子離れをしない。子どもが独立しても子どもへの愛情が薄れていかないのだ。人間の親は子どもが独立して遠くに離れても、子を思う愛はあり、大人になった子どもの事を心配する。それは子どもの未来を想像し、子どもがちゃんと生きているかを案じ想像することが出来るのからだ。つまり、脳の発達した人類は(本能的に子どもへの愛情が薄れる熊と違って)想像力によって親子関係が継続するのだ。。だから、人間の親ははいつまでも子どもを愛しつづけ、親から独立したあとも心配し続ける。
これは人間が想像力を働かして未来を見つめ高度な社会生活を築こうとする故である。人間が獲得した新しいシステムだ。人間がより繁栄するための脳の発達がもたらす親子関係なのだ。想像力があるからこそ、親は子どもの未来を心配し、なんとその孫まで愛情を注ぎ支援し続ける。人間のなせる技だ。当然、独立しても上手く生活できない子どもはその親の愛や援助に感謝するだろう。人間社会では、困っている子どもは親の支援を得て困難を乗り越えることも出来るのだ。
しかし、子どもはもうすでに大人になっている。幼いときの親子関係とは違う。支援されている子どもは、心の奥底では、自分は独立してないことを感じている。そして、それを人間社会では『甘え』と呼び自分を戒める。独立心の強い子どもは心の奥底で親への甘えを否定する。いつまでも甘えていては自分が一人前の大人として成長してないと思うからだ。
しかし、困ったことに、すべての子どもが独立心の強い一人前の大人になるわけでは無い。甘えが心地よければ良いほど、子どもは援助を期待する。そして、それに慣れてくると最初の感謝の気持ちが薄れ→援助を求めていた子どもから、今度は親の愛情を利用する子どもに変わっていくのだ。親の愛情が心地よいだけにもっと甘えてしまうのだ。許されることでは無い事はしっているのだけれど、子どもは自分の独立をより援助される心地よさに負ける。そして、麻薬のように援助を求め、『子どもを助けようとする親の気持ち』を利用としてまうのだ。そして、それが、親と子どもの愛憎劇を産む。かつての私がそうだった。
私は17歳の時に、航空高専を中退した。理由はいろいろだが、自主的に中退した。当然母親は反対した、が父親は許してくれた。しかし、私は夜は午前3時頃まで起き、朝9時まで寝て、昼は図書館でぶらぶらする。どうしようも無い子どもになったいた。私は働きもしないし勉強もしない(大学受験をしている振りはしたけど)親に甘え頼り続ける状況の子どもだった。親はこのどうにもならない子どもをそれでも支援しつづけた。そんな生活が2年間続いた。私は親の愛情に感謝していたが。しかし、いつまでもその状況が長く続くと、(この生ぬるい楽な環境の中に長くいると)子どもは変わる。親に対する感謝の気持ちは薄れ、知らないうちに親の愛情を利用して生きている子どもになっていた。私はこんな生活は駄目だと心の奥底に感じながらも、将来の不安を抱えながら親に甘え続けた。
それでも時が経つにつれ、私の親はこの子どもの姿を見てこの状況がいつまで続くか分からないから、いらだち始めた。私がいつまでも親に甘え続けるのでは無いかと思い始めたのだ。特に私の母親は息子のだらだらしている生活を見ていらだった。そして、私を非難し始めた。父親は話し合いで私の未来への展望をひきだそうとした。そして、私はそんな親を疎ましく思い始めるのだ。ひどいときはこんな状況になったことを社会や親の性にした。そして、憎しみと自虐的なエネルギーが鬱積し始めた。親は子どもへの愛情のあり方に悩み、子どもはこの生ぬるい環境から抜け出せない自分にいらだち、その感情がぶつかりあい、そこからどうしようも無い愛憎劇が始まった。
熊のように子どもを捨てられない親と、親離れの出来ない、いつまでも甘え続ける子、この親子のどろどろ状況から抜け出すには、どうしたらよいのか?
私の場合は親の愛を利用している自分にいやけがさし自分を戒めた。なんでもいいから親と距離を置くことで解決した。アルバイトをしてアパートを借り、物理的に同居を止め親元から離れたのだ。でも、絶対的な独立はしなかった。大学に入るために、親の援助はどうしても必要だと考えたからだ。親もその息子のため援助は続けてくれた。それだけの事だが、気持ちのぶつかり合いを避けたことにより、私は大学受験に集中できた。その後、2年かけてなんとか国立大学に入学できた。そして、親子関係は正常に戻った。
さて、前の話に戻るが、この熊本事件はどんな状況で悲劇的な結末になったのか、(真相は知らないが)この愛憎劇のいきさつが何となく想像がつく。その一つの原因が同居にあると事を私は知っている。大人になっても甘える子どもとその甘えを許す親が一緒に家に居る事によって、先に述べた対立が始まるのだ。恐らく、父親は最初は一緒に酒でも飲んで息子を聡そうと思ったのだろう。だが、楽しく始まった話も息子の将来のことになると、親は子どもが就職していないことを戒め始める。次に、そんなことでは結婚も出来ずお前の一生はつまらない人生になるんだぞと、子どもの将来の不安さを等々と述べただろう。その時点で、子どもは親のそのねちねちさにいらつき始める。その将来への不安を一番に感じているのはその息子だからだ。そして、親は『お前はいつまで親に甘えているつもりなんだ。』息子を責める、自分のふがいなさを戒められることにより、親に感謝したいと思う愛が憎しみに変わる。『誰のせいで、俺はこうなったんだ。』息子は自分が親から独立できないいらだちの負のエネルギーがどんどん鬱積して親に向かう、最後には『全くお前はどうしようも無いやつだ。』と父親は言ってはいけない言葉を言ってしまう。『うるせぇ、全部お前のせいだ、ぶっ殺してやる。』息子は汚い言葉を吐きながら包丁で親を突き刺す。二人で楽しく飲めるはずだった酒が、子どもの親殺しのスイッチを入れさせた。
親は大人になっても頼ってくる子どもを助けたいと思うことは自然である。私は親の立場からそう思う。そして、大人になった子どもも、かなり困っているなら親に助けてもらいたいと思っても良い。かつて子どもだった立場からそう思う。大人になった子どもにもまだ愛情が持てる親は人間手的で有り、そんな親にいつまでも愛情を感じ甘えたいと思う子どもも人間的である。だから親に余裕があって援助できる力があるなら、子どもを支援して良いだろう。しかし、大事なことは、子どもは親を頼っても良いが利用してはいけない。(こども自身が)親の支援に対する感謝の気持ちちが段々と薄らいできたとき、(頼ってたことが甘えに変化し、利用することに変わり始めたとき)それは危険信号だ。また、親自身は最初は支援のつもりだったが『自分は子どもに利用されているんでは無いか』という愛を疑う気持になったとき、それも危険信号だ。そこから愛情の行き違いが始まり、愛していることが憎しみに変わり、口論して互いに傷つけ合う。そうなる前に子どもはだらだら続く自分の甘えに気づかなければならない、そして、子どもから親元を離れていかなければならない、なぜならば、親は(熊のように)子どもを突き放したい気持ちと子どもを愛し続けたい(人間的な)気持ちとの狭間で悩んでいるからだ。だから、親に「子どもを突き放す」ような言葉を言わせてはいけない。親が子どもの未来を心配する気持ちを、子どもは利用してはいけない。
先日、テレビで中田英寿の特集をやっていた。その話の中で中田英寿がかっこいいいなぁと思わせたのが、次の二つの質問の答えだった。
一つはあれだけ活躍したサッカーをやめて新しいことを始めるのにどんな勇気が必要でしたか?
もう一つは、もう一度生まれ変わってあの時に戻れるとしたら、もう一度同じ決断をしますか?
中田英寿はこう答えた。「新しい環境に挑戦するのに必要なのは勇気じゃ無くて、覚悟だね。」と、私はこれを解釈するに「勇気」は困難を乗り越える力かも知れないが、一歩踏み出す力に過ぎない。しかし、「覚悟」は違う。一歩踏み出したあと、上手くいこうが失敗して絶望的になろうが、自分が決めたことだからすべて受け入れるということだ。
新しいことへの挑戦が上手くいくなら、”勇気”だろうが”覚悟”だろうが、あの時、決断して良かったと思えるだろう。しかし、(これが問題なのだが)上手く自分の思い通りに行かなかった場合はどうだろう?
おそらく”勇気”を持って臨んだ人は勢いで行ったから「ああ、やっぱり駄目だったか。」と思ったとき、高い山に登り崖から落ちたように絶望的な境地に陥るだろう。しかし、”覚悟”は違う。覚悟は勢いでは無い。おそらく最初から長い道のりを重い荷物を背負って目的地まで歩くようなものだろう。だから思い通りに行かなくても「そうかそうか、そうなるか。」と状況を受け入れ、「じゃあ、お前はどうする?」と自問するのだ。つまり、”勇気”は希望を持って突き進み,穴に落ちたらおしまいのエモーションだが、”覚悟”最初から穴に落ちて始まるエモーションなのだ。だから、中田の言ってることはすごい。決断の勇気だけでは本物では無く、決断する自分を受け入れる覚悟が必要なのだ。
だから二つ目の質問にも「同じ結果でしょうね。」と答えた。中田にとってサッカーがすべてではなく、人生の一部で、他にやるべき事を見つけたら、その新しいことに覚悟を持って挑戦し続けるのだろう。
私は毎年人間ドックに行く。
理由は
①自分の体が今どの程度健康であるか知りたい。
②毎年の記録で自分の老い進み方が分かる。 (そのことで死ぬまでの自分の計画に修正ができる。)
③もし、病気で死ぬとしても、人間ドックを受けないで「ああ! ~しておけば良かった。」と後悔したくないから
そんな理由で人間ドックには毎年妻と一緒に受ける。
で、今年の人間ドックでは気になることを言われてしまった。
胃のレントゲン写真を見ながら「ピロリ菌が悪さをしてますね。」と医者が言うのだ。
実は、5年前にピロリ菌の検査をしていて、思ったとおり陽性反応がでた。原因は、おそらく、想像するに、私の母親が、赤ん坊である可愛い私に、口移しで何かの食べ物を与えたのだろう。と言うことは、私は幼い頃からピロリ菌と何十年も一緒に生きてきたわけだ。
言わばピロリと共生してた。とも言える。
医者に陽性ですと言われた時、それでも、『ピロリ』って、なんとなくほのぼのとした名前だな・・・・・、と、その程度でしか思って無くて、妻にやっつけた方が良いよと言われても、昭和の時代のなせる技だなと、許してたわけだ。
しかし、なんとのそのピロリ菌がだ。養い主である私の胃を、壊し始めたのである。
医者は私の胃袋のレントゲン写真を見せて、「ここのところ白い部分が去年に比べて広がっているでしょ。これはピロリ菌の性ですね。」というのだ。
『なんだよピロリ、俺はお前が胃にいるって言われても、除菌しないでほっておいてやったのに、それはないだろう。』
、そもそも<ピロリ菌>と言う名前が可愛く思え、ゲームのピクミンみたいできっと丸いふぐみたいなやつなんだろうな。と、想像していたがそれが間違いだった。
甘かった。調べ見ると、なんとどこかで見たエイリアンのようで、ブにゅっとした体で、突端からひものような物が5本ぐらい出ている。移動するときはそれをグルグルま
わして、胃の中の弱いところを見つけて進のだ。<ピロリ>と言うの名前もドイツ語で胃の幽門のことを言うのであって、菌の本当の名前は『ヘリコバクター・ピロリ』で
<ヘリコ>とはラテン語でスクリューと意味だから、そのひもがスクリューみたいに回って恐ろしいスピードで進むらしいところから、その名がついたのだ。
インターネットでピロリ菌を調べていると、他の細菌についても段々と興味がわくようになった。名前を調べていると、これが面白い。まず、細菌のラテン語の名前が興味を引く・・・・・
【カンピロバクター】食中毒菌 【グラコノバクター サバキダン】?菌 【ハンセヌラ アナモーラプロテウス ミラベリ】?菌 【トルラ ニグラ】イースト菌 【バチルス パンクタタン】枯草菌 【スパロバロマイセス ロシュー】?菌
全部、発音はドイツ語かラテン語らしいのだが、ほとんどカタカナ読みでは発音が出来ない、日本語になじまない名前ばかりだった。 それでも調べていく内に驚いたのが、私が昔子どもの頃はやった 赤痢菌の呼び名は Shigella Dysenterias 【シゲラデセンテリアス】というのだ。で、その名前の由来を調べると、最初に赤痢になる細菌を見つけたのが、有名な志賀潔で、そこから名前がついたのだ。つまり【シゲラ】というの【志賀が見つけた】と言う意味なのだ。細菌の中で日本人の名前がついているのはこれだけと書いてあった。と言うことは多くの細菌の名前は、発見者の名前が着いた物が多いのかも知れない。
そんなふうに細菌について調べていて思ったのだが、医学が発達していない時代に(人間の歴史ではその時代の方が恐ろしく長いのだが)、もし、私が生きていて、『どうして人間は病気になるんだろう、そして死ぬのだろう?』と考えたとする。私なりに想像してみると、
1,病気になる人とならない人がいる。
2,病気になっても死ぬ人と死なない人がいる。
3,と言うことは、病気はその人の個人の状態で決まるものらしい。
ある意味、そんなことしか考えつかない恐ろしい時代だ。この考え方を多くの人達が持ったら、病気はその人の生き方や行いで決まることになる。そしたら、病気になったら、病気になった人は行いが悪いか、わけのわからない悪魔が悪さをしていることになる。もしその病気が感染症だとしたら、悪魔が多くの人達に災いを降り注いでいる事になる。このような考え方によって人は心の救いを求めることになるだろう。これが宗教だ。これは自然災害にも当てはまる。そんな時代に病気になって死ぬときは私はどのように思うのだろう。原因の分からないことで体がどんどん弱って死ぬのだ。嫌な死に方だ。それがもし愛する家族の姿だとしたら、我々は神様にすがりつくしか無い。人々に宗教が必要になる。
それを考えると、本当に今の時代に生きていて良かった。と思える。もちろん、今でも訳の分からないことで死ぬ人もいる。人は今でも宗教を必要としている。でも私は、基本的には、そのわけの分からない事もどこかに原因があってそれによって結果がある。これが科学の考え方だ。今苦しいのは、まだその仕組みが分かっていないだけだ。そして、その仕組みはいつかは明らかになる、決して自分の行いや悪魔のせいでは無い、ましてや自分の心のあり方では無い。その考え方が出来る時代に産まれて本当に良かった。
もちろん科学では解明できないものは未だたくさんある。それでも、科学的考えによりどんどん訳の分からないことが解明され、訳の分からない事で苦しめられることが減ってきた。いくら宗教が発達してもこれが出来ない。
宗教は病気で死ぬ人間を救うことは出来るのかも知れないが、病気を治せることはどんなに宗教が発達してもそれはできない。つまり、宗教には救いはあるが、希望が無いのだ。しかし、科学にはいつかなんとかなるかもしれない希望がある。
今の時代、まだ『どうしてこうなるんだろう。』と思うことがたくさんある。それによって悩み苦しむことも多い。でも、それも解明される時がいつかくるだろう。そう思って私は死ぬことが出来る。私にとってそれは、生きる希望だ。
人類は科学的な考え方で理性を持って前に進むしか希望は無いのだ。
スイス旅行をして最初に感じたことは美しさのスケールが日本と違うと言うことだった。
今回の旅行の写真を見て、日本の景色と比べる時、多くの点でスイスの景色が印象的で私の心に残った。、そして、その理由を考えてみた。
①町に電柱が無い
日本で写真を撮るときに困るのが電線と電柱が映り込んでしまうことだ。ヨーロッパ全体がそうなのだけど電線は下水道官と一緒に埋め込んであって、町並みには電柱と電線が無い、小さい頃から東京の下町で育った私は、ひとごみときしめく家、細い路地と電柱、またがる電線、洗濯物、・・・・・・。もちろん、それがアジアの特徴で、それがいいと言う人も多い。スイスの町並みは、静けさと、統一された美しさ、広がる空、遠くに見えるアルプス、写真を撮るときにそれを感じた。
②川の景色が美しい。
スイスの川のある景色をまず説明すると、川→岸→木→道路→住宅
この順番に景色が作られている。それは川の美しさが木によって際立ち、道路と住宅の生活感(たとえば洗濯物など)を隠しているのだ。
ところが日本は、川→コンクリートの岸→道路→木または電柱→住宅の順番に有り、川から生活が見え、川の美しさを消しているのだ。もちろん、日本にもスイスのような河の美しさを見てきた。しかし、日本は河川が氾濫しないように多くがコンクリートで護岸を固めてきている。日本は災害から逃れるため、合理的な姿にならざるを獲ない。スイスの川はおそらく雨で川があふれることなど無いのだろう。だから自然を生かした造りになっていた。災害の多い日本は合理さを求め、災害の少ないスイスは自然のままでいられる姿とその方法を求めていた。
③鉄道マニアにとって最高のステュエーションが提供される。
レールを見るだけでワクワクしてしまう私だが、今回、たくさんのスイス鉄道の車両、レール、シーナリー・・・・・を撮ることが出来た。とても良い写真で多くが絵になっていた。その理由を考えてみた。まず分かったことはスイスの鉄道はほとんどが登山鉄道で、高原を走っていることだ。高原はある地点で木の育つ限界点があり、そこを超すと木が無く視界が開け、景色がワイドになる。今回、私は何回も、車両がカーブするシーンをカメラに収めることが出来た。これは鉄道マニアにとって本当にうれしいことだ。
特に私が乗ったブリエンツ・ロートホルンの登山鉄道は標高2298mの山頂駅をSLで登る鉄道だ。私は絵はがきで見た、登りの急勾配を全力で登る写真を撮りたいと思っていた。そして、私は車両の右側後ろ向きに座わることになった。それがとてもラッキーなことだったのは後で分かるのだが、その席から自分が乗っているSLを写真に収めてもそれは全体の車両は写らず、外からの写真とくらべると見劣りがするものだ。だからといって、撮り鉄の人のように三脚を立てて、SLが全力で登る写真を撮ることはツアーのスイス旅行ではできない。後ろ向きだし、しかたがないかなとあきらめていた時、なんと後からもう一台のSLが私たちの車両を追いかけてきたのだ。後ろ向きだから撮れる本当にラッキーな瞬間だった。そして、それを今回、動画で撮ることも出来たのだ。こんな好条件がそろったことに私は本当に興奮した。後で、そのことを妻に話したが、「そう、それは良かったわね。」とあっさり答えた。ああ、この幸運は鉄道マニアしか分からないのか!!
・・・・・のように、スイスの鉄道は鉄道マニアにはたまらないシーンの連続が見られるのだ。日本で窓から体を乗り出してカメラを構えたら、車掌がやってきてどやされるだろう。だいたい日本の鉄道は体を乗り出せないように窓が開かないように出来ているのだ。スイスの鉄道はもう自然と一体になるぐらいにどうぞうとばかり窓を開けることが出来るし、体を乗り出しても誰もそれを注意することが無い。もう、堪らなくうれしい条件だった。
④スイスは観光国に徹している。
日本の生活を考えたとき、私は子どもの時、高度成長経済期で教育からは合理性、便利性を一番に考えることを教えられたと思う。何故だろうか、理由は日本が戦争に負けて発展途上国として、日本全体が豊かな国になることを目指していたからだと思う。それが今現在の日本の姿である。科学技術は日本の豊かさに貢献してきた。自分の周りを見ると、便利な物あふれ始めていて、すべてが自動になり始めている。しかし、反面、科学技術は日本の自然な姿を受け入れない。日本の美しい自然と近代的なビル群とは、どう見ても溶け込まない風景だ。だから、このまま日本ががむしゃらに便利さと物の豊かさを求めていけば古来ある日本の自然な姿はどんどん崩されていくことだろう。
●若者は新婚旅行にスイスを選んでは行けない。
スイスの豊かさの形は日本と違う。スイスの目指す方向は観光国として豊かさを求めている。そのために便利さを我慢する。国の豊かさは自然を無視した経済発展のだけでは無いはずだ。スイスがそれを体現している。自分の国の特性を考え、その国が目指す豊かさを深く考えなければならない。
経済発展を追求し、地方が寂れても景気良くなったことで都会が豊になり、オリンピックにわく日本。もし、若者が新婚旅行でスイスに行き、豊かな自然をを見て、日本に戻って来たとき、おそらく日本の自然にけちをつけるだろう。自然がどんどん合理的な姿に変わっていく日本の姿を知っている老人が最後にスイス旅行をするのは良いが、どうして日本の自然がスイスに比べてスケールが小さいのか理由が分からない若者は新婚旅行にスイスに行ってはいけない。でないと若者はスイスに行ったことによって、日本の景色が色あせて見えてしまう事だろう。
6月29日から10日間、スイスに妻と一緒に旅行に行ってきた。
私たちは夫婦は新婚旅行に行かなかった。短い新婚旅行をするよりは、そのお金を元に頑張って貯金して一年後ヨーロッパ(もちろんスイスを中心に)長い旅行をしようと計画していた。しかし、それは事情により、後の子どもの育英資金になってしまった。だから、新婚旅行の思いでは無い。それで妻はいつかスイスに行こうと私以上に心に決めていたようで。リタイアーした今、チャンスとばかり今回の旅行はすべて妻が計画し、35年後に実現させたわけだ。それだけでは無く、その旅行は鉄道マニアのわたしの希望を入れて、スイスを一周しながら、有名な登山電車乗ることが出来た、そんな楽しい旅行だった。
外国旅行は私たちはあまりしたことが無く、二人きりでの旅行は難しいので、ツーリスト会社の企画に乗かって行くことにした。最初に空港で集まったとき驚いたのはそのスイス旅行の企画に集まった人の数だった。スイス10日間の旅に34名も集まったのだ。それだけでは無く、私たちを含めてみんな年寄りばかり」だったのだ。旅行中に分かったことは、団体は大体が70歳前後の夫婦が多く、まだ元気なときに、たくさん旅行をしてたくさんいい思いをしておこうという人達の集まりだった。
だからほとんどの人が毎年3回ぐらい海外旅行を行っているような人達で、話を聞く度に「へーー。」と感心するばかりだった。ある人は70歳までに27回目の旅行でスイスには2回目だというのだ。その理由は前に来たときが天気が悪かったのでも一度行くことにした。というのだ。びっくりだ。
毎日の昼や夜の食事では、みんなが旅行の話が聞け、モルジブのセレブな過ごし方からマチュピチュの神秘さフランスのルーブル美術館の広さ、アフリカのサファリ、エジプトのピラミッド、ノールウェイのフィヨルドとオーロラ、カッパドキアの熱気球、ネパールの空港での大変なエピソード、‥もう私たちがこれから頑張っても行けそうに無い旅行の話ばかりだった。世の中にはお金と余裕の両方を持っているお年寄りが多く存在しているのだ。
私たち夫婦は、その人達の話を聞く度に、楽しかったし、うらやましいと思いながら、楽しく最初は相づちを打っていた。が、しかし、その話を聞くうちに、気持ちが変わり始めた。
「私はここへ行ってきた、そこはこんな所だった。」「ああ、私も行きました。そこではこうでしたよ。」「そうかもしれないけど、あの国ではこうだった。」・・・・・という話を聞いていると、外国旅行の回数の少ない私たちは「そうですか、そうですか。」相づちを打つだけで面白くなくなってきた、自分たちの旅行の経験しか話さないからだ、段々とうんざりしてきて、最後の方では私たちは食事中も自然と彼らから離れ会話に加わらなくなってきた。でも、ある夫婦だけは例外で、その人達とは楽しく話をすることが出来たのだ。理由は私たちの話にも耳を傾けてくれたからだ。つまり、会話が成り立っていたのだ。
もし、あなたが外国旅行の話をするなら、行ったたくさんの国の説明はしない方が良い。それはいかに自分が外国旅行をたくさんしているかの自慢話に聞こえるからだ。
勿論、旅の話をするときは行った国で見てきたことしてきたことを話すのは当たり前だ。しかし、それだけではただの一方的な自慢話なのだ。行った国の文化や日本との違い、日本では経験できない体験談、エピソード・・・・・一歩、自分の考えを話、私はこうおもうのだけど、あなたはどう思います。と、相手の話を促す事が必要で、一方通行になりがちな旅の話を、相手の考えや経験を引き出して、違いや同じ経験を分かち合うことが、旅行話の楽しさである事に気がついたわけだ。そんなことは、普段の会話でも同じだろというかも知れないが、とかく外国旅行の話になると、「ああ、知ってる。そこ、いったことある。そこもいいけど、私はこんなところへも行ったのよ。」そんな会話ばかりになるようだ。
で、私は、スイス旅行話を、これからブログに乗せる事にしましたが、一方的な自慢話にしないように心がけることにします。こうご期待。
コズミックフロントというテレビ番組で、コペルニクスの特集を見た。哲学においてカントが「コペルニクス的転回」というパラダイム転回として使ったのが有名だが、コペルニクスの生い立ちは詳しくは知らなかった私には面白いはなしだった。
彼は、二十歳で天動説がちょっとおかしいと気がつき、観測とデーターを積み重ね計算をして、真実は地球が太陽の周りを回って いることに確信してくる、しかし、彼は聖職者で神に仕える身であり、聖書に書かれていることは絶対であり、彼の信念は聖書の教 えに従うことであった。つまり、彼の人生は彼の信じる「信念」と彼が追求する「真実」とが一致しない苦悩に満ちた人生だったのだ。 それが死ぬまで続いた。
人を導く「信念」も、物理的事象から「真実」導く力も無い、凡人の私たちにとって、コペルニクスの苦悩はどんなものだったんだろう。想像す るにかなり苦しく悩みに悩みんだのだろう。死に近づく晩年になって、「これは重大な真実だから」と親友であり弟子でもあったゲオルク・レティックから本を出版するように薦められても、 彼は「聖書に背いて、世の中が混乱するような本を出版して良いのか悪いのか」悩むのだ。
しかし、このままではいけないと思ったレティックはあることを思いついた。そして、コペルニクスを説得し、地動説を説いた本が出版されることになった。また、その本が出版された後も、教会はさわぎたてることもせづ、世の中は混乱することもなかったのだ。その友達の機転は一体に何か。 これがこの話の面白いところだ。
彼は、地動説の本の序文に「これは仮説だが・・・・・・・・・・」と一節を入れさせたのだ。そして、教会を仮説ならまだ確信出来てないことですからと 納得させ、コペルニクスにはこれで本を出しても世の中は混乱しないと説得したのだ。私はレティックもすごい人だと思う。地動説に感銘を受けて、これは世の中を変える力を持っていることを見抜いたこと、このまま地動説が闇に葬られる事の危機を感じていたこと。そして、信念と真実との狭間に苦悩しているコペルニクスを救う方法を考え出した事、コペルニクスを尊敬し地動説のすごさを知っている親友だからこそ、その考えを思いついたのだと思う。
親友や弟子達の手で本は出版され、コペルニクスは70歳で脳溢血で死ぬ間際にその本を受け取って亡くなったそうだ。
私に言わせれば「コペルニクスさんその手があったじゃないですか。もっと早く出版すればよかったのに。」と思うところだが、残念ながらコペルニクスぐらいの聖職者はそうはいかない。信じていた聖書を「実はこれは間違っています。」と言うのだから、死ぬ間際まで、苦悩したのだろう。ただ、一般人の私がこの話から学ぶ事は「どんな苦悩にも逃げ道はきっとある。」ということだ。
コペルニクスの死後、かのガリレオガリレイが望遠鏡による観測から、地動説がいかに正しいか訴え始めるのは70年後だった。
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仕事を辞めてからなんと五年目を迎えることになりました。
驚きです。なんと時間のたつのが早いこと、このままだと、困ったことに自分の達成したいことが実を結ばずに死を迎えてしまいそうです。
それはさておき、今年も年賀状のパロディーが出来ました。今年は私の好きなギターリストのジョンメイヤーのアルバムから作りました。
お腹が出ていてTシャツがふくらんでいるのがジョンメイヤーと違うところなので、かっこわるいです。
今年の目標はまずはOlo Falconのアルバムを完成させて、YouTubeにアップすることです。これがまた、大変です。
※ギターはちなみにクラプトンのブラッキーモデルです。

私は最初に百田なる人物を知らず、『永遠の0』を読んで感動した。
不遇の運命に死を回避して生きなればならない主人公の生き方、そして、理不尽な時代の流れ・・・・・。0戦という名戦闘機を通して、物語が展開する。
読み終えて感動して、涙が出てきた。
なのに・・・・・。
その物語を書いた百田尚樹を知ったとき、なんだこれは、どうして彼がこの小説を書けたのだ?
彼の言動を知る度に嫌悪を感じる。この人は何なんだ。最近、メディアにでる百田の発言はひどい。どうして、こんなにあれが悪い、これが良い、こいつは駄目だつぶしてしまえ、と言い切れるのだ。
もちろん、人にはそれぞれの考えがあり、自分の意見を述べるのは構わないとおもう。そういう私も今私の考えで彼を非難している。ただ、彼は小説家としてああいう言動はまずい。彼の小説に引き込れるのは、物語を読みながらそれが真実の出来事であるように思わせるからだ。それが出来る小説家はやはりすごいと思う。だからだ、だから百田尚樹はだめだ。
私も『永遠の0』に感動した。そこにはやはり戦争で多くの人が無念な気持ちを抱いて死んでいく残酷さ理不尽さが描かれていた。
でも、彼はどうして、この小説がかけることが出来たのだろう。
答えは『小説家は真実に近い嘘が書ける』ということだ。
自分もお遊びで小説を書いたことがあるから分かる。自分が書いていていて面白い話は人も面白く感じ、『ここの文章は人が読んだら感動するだろうな』と自覚しながらあの時は小説が書けた。主人公がこんなことを言ったら格好良いとか悪いとか、こんな事があってこんな事をしたら人は感動するだろうなと、それを考えながら書くいていると、『真実のような嘘が人を感動させる。』そんな結論にいたった。あの頃自分には取材能力が無かったから、『嘘のような真実』は書けなかったが、『真実のような嘘』を何とか捻出しようとしていた。若い頃、小説を書いていたときの思い出だ。
百田尚樹はいけない。彼は『真実のような嘘』で戦争を美化しようとしている。『愛するものために戦い、命を惜しまない』そこに人は感動しやすい。『永遠の0』にはそれがあった。
しかし、そのことで戦争の醜さ残酷さを消そうとしてはいけない。彼は自分の言動や思想に一切の疑問も感じてないだろう。なぜなら、『自分は人を感動させる事の出来る小説が書ける』という自信をつけてしまったからだ。だから、嘘も真実にして、その自分自身が正しいと自信を得て、人に説教し始めた。困ったやつだ。
昔、大学時代に合ったカトリック信者の女の子は「私は神様に会えてから、迷いが無くなり、どんな困難にであっても生きていける自信がつきました。」と言ったことを思い出した。
何かを信じて、疑わない人は困ったものだ。こういう人は誰に何を言われてもぶれない。生き方に自信を持っている。無神論者の私が何を言っても聞いてくれなかった。信じたものが信じられなくなる、そんなことが起きない限り、その人はぶれないだろう。しかし、それが怖い。何かを信じて疑わなくなる。
これは、『イスラム国』に通じ、自分の信じていることのために人を殺すことをも厭わなくなる。戦争をも美化し、自分の死も美化していくのだ。
時々、考える。自分のしていることに自信を持って生きている人は素晴らしい。そんな自信に満ちた人が区々に増え、ぶれない思想を持ち、より大きな力と自信をもち仕事をして、何かをなしえていく。しかし、その人達はいつしか、自自分のぶれない思想から、自分たちと違う意見に耳を貸さなくなり、自分達を批判する意見を疎ましくおもってくる。それでも最初は自分たちを批判をする人たちを説得しようとする。しかし、そんなことは出来ない。何故なら、批判する側もぶれない思想を持っているからだ。その結果、どうしても自分たちの思想が世の中に通らないことを知り、おなじ考えの人を集め集団を作る。相手も作る。だが話しあいでは解決できなくなり、最後に誰かが暴力で解決しようとする。傷つけられた怒りが集団を武装化して、最後にはそのぶれない思想の集団同士が闘うのだ。そんなことにならないのか?
百田尚樹の言動、自民党が強い日本を目指している自信、拡大する宗教団体、イスラム国・・・・・・・・・・
世界がまたいやな時代を迎えそうな予感がする。
チャッピーを見た。プロムガンプ監督の荒廃したヨハネスバーグの描き方はいつもこの世界の行き着くところを描いているような気がする。その中で赤ん坊のようなアンドロイドが何を学ぶか?
面白い問題提起だ。特に、チャッピーが置き去りにされ、警察を憎んでいる子どもたちがチャッピーに暴力をふるうところは「ああ、世界に未来は無いな」と思わせる。
バックに流れるヒップホップもクールで、話の流れも単純だが切れ目の無い映像で、ずうっと画面に釘付けにされた。
人間は欲がある。いいことも悪いこともその欲が人を動かす。暴力をも使ってでも自分の欲を満たそうとする。チャッピーも最初は欲が無い真っ白のなAIを持っている赤ん坊として描いてる。
創造者はチャッピーに人間の叡智をさづけようとするが、現実主義者は世界の成り立ちを見せようとする。このシチュエーションが面白い。
欲の無かったAIが欲を持ち始める。そして、欲を持ったAIは人間になっていく。
とするとAIは人間を目指したら未来は無いと言うことだ。AIには叡智だけを教える事が良いという結論になってしまう。しかし、欲の無い叡智だけのアンドロイドは何を目指して何をするのだ?
そして、映画の最後に永遠の命を手にした人間達は何を目指して何処へ向かうのだ。
